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| 名前 |
菅公御休憩之石 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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現在の石は、レプリカです菅原道真公(当時五十七才)は、左大臣藤原時平の慚言により、昌泰四年正月二十五日俄かに、大宰府権帥として、左遷されてしまい、昌泰四年二月京都を、出発され瀬戸内海を航海のあと、三月博多袖湊に入港された道真公は博多の街は如何なるものかと思われ高い丘より眺めるのが、最上と平尾山麓の丘の下に船を寄せられ、左遷の地に第一歩を印されたのが、ここ平尾天満宮の土地でした。丘の上にあった石に腰かけて博多の街をつくづく眺め、京での右大臣として華やかな日を追想され今は冤罪に問われる身となり哀れな我姿(容見)を顧えり見られて万感胸に、迫る思ひがあったとか菅原公の胸中察するに余りあるものです。と書かれていました。要約すると・平尾天満宮は、菅原道真が京都から左遷され博多の街を知るために高いところから眺めようと平尾天満宮の丘の下に船をつけて立ち寄り、この場所にあった石に腰掛けて町を眺めた。