小磯さんと共に歴史を感じる!
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地域の人から「小磯さん」と親しまれている祠です、戦国時代の尼子氏に関連した史跡です。
名前 |
小磯八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
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大同寺に隣接して鎮座し、出雲国鈴掛山(鈴垂城)城主 亀井安綱の家臣、小磯又四郎を祭神とします。おおまかには下記が創立の由緒です。毛利・尼子の戦いの時代、ここからほど近い場所に尼子方に属する出雲国鈴掛山(鈴垂城)の支城である伯耆国高岡城があった。永禄9年(1566年)、高岡城主 武良内匠頭は主君であった鈴垂城主 亀井安綱と主従二百余名を高岡城に招いて酒宴を催した。ところが武良内匠頭は毛利方に内通しており、この酒宴も鈴掛山城を留守にすることが目的で毛利による急襲の知らせを受けた亀井安綱は同行していた若君である清若丸と乳母を高岡城に預け(この時にはまだ武良内匠頭の裏切りに気付いていなかったと思われます)、自らは引き返すも鈴掛山城は落城、亀井安綱は境の海岸で境水道を挟んで炎上する鈴垂城を見ながら無念の切腹を遂げました。その後、高岡城でも亀井安綱が城を出た直後に寝返った武良方の武士との戦闘が始まりますが、若君と乳母は残った亀井方の武士により高岡城を脱出。護衛である乳母とその夫である小磯又四郎とともに大同寺の藪に逃げましたが、隠れていたところを武良方に発見され自刃し果てたと伝わっています。その後、小磯又四郎をお祀りするために八幡宮が建立され現在も毎年7月に荒神神楽太鼓が「小磯祭り」として開催されています。*高岡城:小磯八幡宮より約300-400m北。境港総合技術高等学校グラウンド付近*鈴垂城:高岡城より約3km北北西。松江市美保関町森山。航空自衛隊 高尾山分屯基地西隣。