歴史を感じる相馬野馬追の神社。
相馬小髙神社の特徴
相馬野馬追の歴史を感じる、由緒ある神社です。
小高川を渡ってすぐの場所に位置する、立派な社殿です。
野馬懸を通じて、相馬の神事の原型に触れることができます。
親戚が関西から福島県南相馬市に転勤となり、観光を兼ねて定期的に原町に訪れています。この地に訪れ国指定重要無形民俗文化財の『相馬野馬追い』があり、この相馬小高神社、相馬太田神社、相馬中村神社の相馬三妙見社の一つとして🐎相馬野馬追が当地から出陣すると知りました。是非訪れてみたいと思い今回お正月に伺うことが出来ました。😉✌️相馬小高神社は、元享3年(1323)に相馬孫五郎重胤公が下総国から当地へ御国換となった際に氏神として尊崇していた妙見神を、小高城内に祀り創建、慶長16年(1611)に廃城となってからも妙見社としてお祀りされ、明治維新後の神仏分離により小高神社と改称されました。境内が福島県指定史跡であるほか、福島県指定有形民俗文化財である江戸時代の『相馬野馬追額』を所蔵されています。相馬野馬追の最終日は境内で最も重要な神事「野馬懸」も行われます。境内にはソメイヨシノ、シダレザクラ、ヤエザクラなど約120本が植えられており、桜の名所としても知られている様です。またお花見🌸シーズンと野馬追い開催時に伺いたいです。😁
2023年8月19日に参拝しました。6代相馬重胤が、行方郡太田村の別所館に祀っていた妙見宮(現在の太田神社)を小高城築城(嘉暦元年1326年 修築は、建武3年1336年)とともに遷宮した神社です。相馬氏は、平将門の流れをくむもので、下総国流山を本領としていた頃から妙見宮を祀ってきたそうです。本拠地が、慶長16年1611年に中村城へ移される時も妙見宮は、中村城内へ遷宮しました。太田神社、小高神社、相馬中村神社の三社は、相馬三妙見と呼ばれ、相馬野馬追の神事を継承する神社です。
震災直後は石碑や守護神などが倒壊して、直後に原発事故が起きて住民が避難して10年近くも放置されました!ユックリした復興が続いています。
今朝3時に日課の筋トレして、準備をしてから自宅を出発しました。今回は南相馬市から北上しながら神社仏閣参拝しようと来ました。南相馬市で、何処か良い神社ないかなぁとナビを見ていたら、小高神社と目に入り、あっここだな。ここに行った方がいいんだなと、魂が感じました。やっぱり来て正解でした。社殿を見て、呼ばれたんだなと。なかなか歴史がある神社らしいですが、他の参拝者は誰も居ない境内でした。なるほどと思いながら。あちこち見て周りながら参拝しました。
2022年7月25日 相馬野馬追の最終日は「野馬追」の語源でもある小高神社での「野馬懸」が行われました。東日本大震災後、追込み馬の頭数が縮小されたり、後祭の神旗争奪戦が4年前にようやく復活した矢先にコロナの影響で、無観客で行われていましたが、三年ぶりに復活しました。神旗争奪戦は、原町の雲雀が原で行われるのが有名ですが、ここは、周囲が木に囲まれている場所なので、打ち上げた旗が木に引っかかってしまうハプニングが・・・。
とても立派な神社ですが、先の地震の影響で修復作業を行っておりました。この神社は奥州相馬氏の居城で小高城跡にあります。相馬野馬追いの野馬懸の祭場地として有名です。
立派な神社です貴船神社から小高川を渡ってすぐなのですね。鳥居をくぐり石段を登ると広くなります。小高城の城跡でもあります。昔は城が建っていたのだなと思うとまた違った空気を感じます。東側からは車で境内の近くまで上がることができます。相馬小高神社で野馬追が行われるそうですので是非見たい🐴天満宮、雷様も祀られています。境内の右脇を通り過ぎると奥の院が祀られています。中々気づかないと思いますがとても神秘的です。時間がありましたら是非参拝してください。朝早かったので社務所は閉まってました。今度は御朱印いただきに行こうと思います。
元朝参りもお宮参りも七五三もお世話になってます。
歴史有る神社、相馬中村神社と同じ想像を巡らせた鳥居のゴールドのしめ縄、奉拝の節は神主に伺って観ては如何でしょうか?相馬藩の歴史を垣間みれた神社でした。
名前 |
相馬小髙神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0244-44-2323 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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相馬に訪れましたので 立ち寄りお詣りしました相馬野馬追の歴史を感じられる神社です ぜひお立ち寄りください。