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| 名前 |
大横町道標(飯田最古の道標) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
造立年不詳ながら飯田市内最古の道標といわれている。この道標には「今宮・白山入口」と「善光寺・甲州」、「三州」と彫られている。この道標のあるあたりは大横(おおよこ)町だった筈なのだが、いつの間にか大横町が消滅し、嘗ての大平街道を挟んで本町と知久町に町名が替わってしまった。中山道塩尻宿から東海道岡崎宿を結ぶ三州街道((さんしゅうかいどう)中山道塩尻宿~東海道岡崎宿)《三河國・愛知県側から信濃國・長野県側へ向かうときは伊那街道ともよばれている》が市田宿、黒田、桜町方面からこの道標前を通り、箕瀬(みのぜ)、上茶屋(かみちゃや)、切石(きりいし)、伊賀良(いがら)、山本、駒場宿(こまんばしゅく)方面へむかう。また今宮、大休(おおやすみ)、大平宿(おおだいらじゅく)を通り、標高1358mの大平峠(おおだいらとうげ)《木曽峠ともいう》を越えて木曽へ抜け中山道妻籠宿(つまごしゅく)まで結ぶ大平街道の起点でもある。飯田城下の町並みは天正18(1590)年~慶長5(1600)年の10年間飯田城主だった毛利秀頼公と京極高知公により整備された。この道標から北西に続く細い道路(大平街道)を50m程進んだ下殿町には赤穂浪士四十七士のひとりである赤垣源蔵の生誕地の碑がある。飯田線飯田駅から徒歩8分程 (再)