京都からの歌声、文明の足跡。
文明の足跡、と言うと。曲解されますな。⊂(・ε・`)ノシ.:∴道興(どうこう)准后(じゅごう)は、関白近衛房嗣(ふさつぐ)の子供。永享(えいきょう)二年、1430年の生まれ。本山派(天台宗系)修験の、最高峰とされる、聖護院(しょうごいん)門跡(もんぜき)となったそうな。光合成、皇太后、大皇太后に準ずる待遇の准后の称号を得たそうな。文明十八年(1486年)6月から、十九年春まで、東国巡遊の旅に出ています。志木市幸町三丁目辺りにあったらしい、十玉坊(じゅうぎょくぼう)を拠点に、柏の城や野火止、膝折の各所に行き、即興で歌を詠んだそうです。夕けぶり、あらそう暮れをみせてけり、我家々のむね岡の宿。
名前 |
道興准后歌碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
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室町時代に京都からここまで巡遊にきて歌を残した、、、とのこと。