歴史を感じる高森町の陣屋跡!
市田陣屋跡の特徴
弘化3年から慶応4年までの歴史を持つ陣屋跡です。
標高606mの位置にあり、美しい景観を楽しめます。
石垣が残っているので、歴史を感じながら散策できます。
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標高606mの陣屋跡高森町史跡で標柱に説明文がある石垣が残ってるよん♪(* ̄∇ ̄)ノ。
| 名前 |
市田陣屋跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0265-35-9416 |
| HP | |
| 評価 |
2.8 |
| 住所 |
|
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市田陣屋は、弘化3年(1846)から慶応4年 (1868)まで、23年間奥州白河の阿部能登守によって統治されていた役所であった。 陣屋は現在の伊勢神社を中心とした処に設置され、広さは凡そ1,900坪(約6,270平方メートル)有り、役人住宅、倉庫、役所、白州、牢屋、道場、野菜園などの諸設備を完備し、元締、奉行、代官、手代の外同心などが勤めていた。この統治領土は、信州伊那分だけで13,800石余りあった。寛政6年(1859)、年貢のことで百姓一揆(いっき)が起こり領内の百姓、年の暮の12月に徒党を組んで市田陣屋へ押し寄せようと して、松尾の八幡原で陣屋の奉行の務川忠兵衛と対決した。十二月二十九日未明の事であった。結果は務川忠兵衛の更迭となり、百姓の指導者伴助、順左衛門らは入牢になったが、改めて百姓の歎願は聞き入れられ、農民側の勝利に終った。市田陣屋はその後間もなく1868年に閉じられることになった。 現在は石垣跡、井戸、陣屋橋の碑が残されているだけである。(林 藤人『高森の史蹟と伝承を訪ねて』龍共印刷株式会社平成10年発行より)