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訪問日 2024/11/22「説明看板より」慶長年間(1596~1615年)黄金の産出多く、日影沢金山の産出金をもって駿府の金座で慶長小判が鋳造されました。金座の長官•後藤庄三郎光次が墨書し、金品位を保証したので「駿河墨書小判」といわれています。当時、梅ケ島村は天領(幕府直轄地)で、駿府町奉行•井手志摩守正次の支配下にありました。その頃、此処に「金山奉行屋敷」や「漣御蔵」と呼ばれた金鉱石の貯蔵所が建てられました。その後、貞享3年(1686年)、遠州中泉代官•近山六左衛門、支配の時、代官の自費で再建されました。奉行屋敷には、代官の手代が常勤し、梅ケ島村の行政指導や金山の監督をしていました。