御殿場五合目口で思い出浸り。
英国旅客機遭難者慰霊碑の特徴
英国海外航空911便の事故を悼む大切な記念碑です。
御殿場五合目口への自転車での訪問も楽しめます。
過去の事故について知識を深めることができる場所です。
英国海外航空 (BOAC)911便はサンフランシスコを起点とし、ホノルル、羽田空港を経由して香港に向かう計画であった。羽田空港には1966年(昭和41年)3月4日16時45分に到着予定であったが、羽田が濃霧で閉鎖されたために板付飛行場(現在の福岡空港)へダイバートし、1日遅れの3月5日12時43分に羽田へ到着した。富士山麓・太郎坊付近911便は13時58分に羽田空港から香港の啓徳空港に向けて約2時間の遅れで離陸した。滑走路脇には前日に濃霧のなか着陸に失敗して大破・炎上したカナダ太平洋航空のダグラス DC-8の残骸が散乱していた(カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故)。機長は離陸前のタクシングを始める寸前に、提出済みの羽田空港から伊豆大島経由で香港に向かう計器飛行方式 (IFR)によるコースではなく、富士山上空へ直行する有視界飛行方式 (VFR)を要求し受理されていた。離陸完了後、機長から管制塔への無線通信による「ごきげんよう (Good day)」が当該機からの最後の言葉となった。羽田空港を離陸し巡航高度に上昇中の14時15分ごろ、静岡県御殿場市上空付近15,000フィート (4,600 m)を飛行中、乱気流に遭遇して右翼が分断されるなどして機体は空中分解し、御殿場市の富士山麓・太郎坊付近に落下した。空中分解してから墜落するまでの様子を目撃していた自衛隊員などによると、空中分解した後に両翼から白いジェット燃料を吹き出しながら機体中心部が地面に衝突し、爆発音とともに黒煙が上がったという。その後操縦席を含む機首部分が焼失した。機首付近は本来燃料タンクが無いため炎上しないはずだったが、911便は乱気流遭遇時に主翼付近のタンク隔壁を燃料が突き破って機首付近に溜まっていたことが火災の原因となった。翌朝になっても機首を含めた機体の一部はまだ燃え続けており、ジェット燃料の白い煙と臭いが絶えない状況であった。毎日ニュースの事故解説によると、空中分解した機体の破片は墜落地点から20キロメートルも離れた所にも飛び散っていたという。また乗客の手荷物・日本の土産物などの遺品は、墜落現場地点からかなり離れた所でも発見されている。その原因はBOAC機が激しい乱気流に巻き込まれた際に主翼などが破損して空中分解する途中、広範囲に渡って機体の破片・遺品が飛散したものとみられている。事故の発生から間もなく事故の瞬間を目撃していた自衛隊員や警察官などが現場に駆け付けたが生存者はおらず、乗員11名・乗客113名の合計124名(日本人13名を含む)全員が犠牲となった。なお山林地帯への墜落であったこともあり、地上の犠牲者及び負傷者はいなかった。
私が小学校に上がるくらいの時、当時、御殿場市内の北西部に住んでいたので、飛行機事故の時、親が大騒ぎして山の方を見ていたのを記憶しています。当時を思い出しながら、慰霊の参拝をさせていただいたのですが、入り口付近に、ふじあざみの花もきれいに咲いていました。
近年の報道番組でこの事故の事を放送していて初めて知りました!十数年前に近くを通りながら、知らぬまに通過してきてしまっていたので、一度は慰霊に訪れたいと思っていました!この飛行機が飛びたった羽田空港では、前日に他の国の旅客機が墜落していて、その残骸を横目に見ながら離陸して、この事故にあってしまったとのことです!その当時は富士山による乱気流(山岳波)が相当な高さまで影響してるとは知らなかった時代に起きた事故!不運、無念としかいえませんね!慰霊碑に向かう歩道の右側の黒っぽい砂地には車や乗り物で乗り入れない方が懸命です!到着してからどこに止めようか思案しながら、うっかりバイクで乗り入れてしまったら、黒っぽい軽石の層が予想以上に厚く、タイヤがその砂地に埋まってしまい身動きが出来なくなり脱出するのにえらい苦労をしました!汗だくです!汗をふき、一休みしてしてから慰霊碑を前に手を合わせました!ふと、真上を見上げたら頭上を旅客機が関西方面に音もなく通りすぎて行くのが見えたのです!偶然とはいえ何とも言えない気持ちに陥り今は、高度を確保してるから安全なんだろうなと思いつつ、亡くなられた方々のご冥福を祈りながら後にしてきました。
御殿場五合目口まで自転車で登り途中に寄りました。慰霊碑があり1966年3月5日の航空事故をその時は生まれていなかった為、初めて知りました。手を合わせてから五合目まで向かいました。
名前 |
英国旅客機遭難者慰霊碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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慰霊させてもらいました。