津久井城の戦争遺跡を訪れよう!
川和防空監視哨の特徴
太平洋戦争中の建物が残る貴重な史跡です。
川和防空監視哨は戦争遺跡としての重要性があります。
硫黄島からのB29を偵知するための施設でした。
ここを知ったのはつい最近。監視哨入口の看板のある取り付き地点はどう見ても道筋が無く、しばらく周辺を探してしまった。強引に登って行ったら、案内板がありました。尾根に辿り着くまでは意外にキツイです。15年前までは登山を趣味として、八ヶ岳縦走、北岳などを日帰りで登っていた自分でしたが、結構ヘバリました。津久井城のある山の方が見晴らしは良さそうなのに、この山にしたのはバレにくいからなのかな?と思いました。
津久井城の全景と第二次世界大戦の戦争遺跡である川和防空監視哨を見学に来ました、第二次世界大戦末期硫黄島より飛び立ったB29は富士山を目標に飛来し甲府、大月上空を通って東京上空に向かったようで、この敵機を素早く偵知、発見し防空飛行隊、高射砲隊に通報する為の施設との事でした!(自分が知る限りでは当時の建物が残る監視哨はここだけかなと思います、興味のある方は一見る価値ありと思います!)津久井城とは関係ないようですが、川和防空監視哨が有る津久井堂所山(八王子市にも同名の堂所山が有ります)の付近の金原(現在の相模原市緑区根小屋、長竹)には、三増合戦時に津久井城の抑えとして小幡信貞(国峰城主、武田24将で上州の元祖赤備え武田家中最大の500騎備え)、加藤景忠(上野原城主)隊約1200人が布陣(隠し沢にて、津久井城兵の出撃に備えていた)していたとの伝えが有るので、この津久井堂所山370mから津久井城が有る城山(宝ヶ峰)375mが良く見える事を考えると、津久井城の動きを見張る場所では、なかったのか?また、豊臣秀吉の小田原の戦いの時に津久井城は再び戦乱の渦に巻き込まれ事になり本多忠勝、平岩親吉ら11000軍勢が津久井城を攻めた、その際もこの頂きに物見がいたのかな?とか、ここに何故山城が築かれなかったのか?とか思いながら津久井城の眺めを楽しみながら、尾根伝いを歩いていたら、突然ドックベル🔔と共にドックナビを装着した、厳つい顔つきの猟犬に囲まれて、冷や冷やドッキリ😂この日は猪が出没したとの事で猟犬が山に入っていたのでしょう、猟犬と一緒にハイキングしたのは初めての経験でした😂11月25日〜2月15日迄狩猟期間中なので、猟区外だと思いますが、一応散策の際は注意が必要です!
たどり着けませんでした。未整備の山道を歩くのでそれなりの装備は必要です。
名前 |
川和防空監視哨 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
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太平洋戦争中の建物がそのまま残っている様子でした。細い獣道のような道を15分~20分歩いてたどり着きました。勾配も結構キツイ感じでした。ここだけ時が停まっているような不思議な感じでした。