武蔵と相模の国境、歴史の光景。
武相国境モニュメントの特徴
武蔵国と相模国の国境を示す記念碑的モニュメントです。
権太坂と焼餅坂の峠に位置しており、訪れる価値があります。
歴史的な場所で、旧東海道の散歩途中に立ち寄れます。
権太坂と焼餅坂の間にある峠。東海道の中では、江戸に最も近い難所だった。その分、眺望もよく、往時は茶屋で休憩する人人で賑わったとのこと。
旧東海道の散歩で訪問。ここは武蔵国(保土ヶ谷宿)と相模国(戸塚宿)の境で、木の杭が立っていたところから、境木といわれるそうです。このモニュメントは平成17年に設置されたそうです。江戸から谷筋を歩いてきて、権太坂から山を越えるために尾根筋へ登て行きます。 途中、富士山が綺麗に見えました。
武蔵国と相模国の国境を示すモニュメント。現在は保土ヶ谷区と戸塚区の区界付近になっています。
武蔵国と相模国の境。
相模国と相模国の国境を示すモニュメント。国境の地図と方位などの座標を示す陰刻が面白いですね。
このモニュメントが建立されるずっと前は、真後ろにある境木地蔵尊に古くからそびえ立つ大きな幹の欅が国境の目印だと、小学校で教わりました。…もしかして、そこから「境木」という地名が出来たのでしょうか??
ふとした思いつきから発展した東海道五十三次を歩いて踏破するこの企画。初日の6/22はさすがに運動不足は、否めず駅の階段や自宅で悲惨な思いをした。案の定 翌日には足の痛みは少しはあるものの5割ほど回復したが予想以上に体幹に疲労が残っていたらしく風邪をひいてしまい苦しい一週間だった。さすがに昨日は残務のため出かけることが出来なかったが、懲りもせずまた『歩いていこう東海道五十三次』続きに出掛けてしまった。確かに前後を見渡しても歩いているのは、拙者だけ、それだけ異様なのかな。これは新たなアトラクションだった。上り坂 ひぇぇぇ これはいらないアトラクションだネ。この急勾配の坂が噂の『権太(ごんた)坂』だった。 旧東海道を東京から西へ向かう際、最初の急勾配として知られる。権太坂(一番坂・二番坂)、焼餅坂、品濃坂と坂道が続き、旅の難所であった。年始に行われる箱根駅伝では、旧東海道の権太坂は通らないが、付近の国道1号の坂を権太坂と称し、往路2区の難所として位置づけられているから面白い。境木立場跡昔の国境にあるこの地当時は相当の難所だったみたいだ。見晴らしがいいところだが高層マンションが乱立し何も見えなくなっていた。ここが国境の標識だ 地図 出来れば国境線も引いてほしかったね。下総國の生まれの拙者が武蔵國から今度は相模國へ今入ろうとしている。だんだん面白くなってきた。徒歩で旅するものを飽きさせないアトラクションに最適だね。そこに国境線が引いてあれば恐らくアトラクション部門でベスト3に入る価値あるね。続け様、次のアトラクション。 焼餅坂。でも行程上、下り坂の演出。これには痛みの消えかけた足に記憶を思い出させる悪いアトラクションだった。ここはいいね 幅員3mの道路はいかにも旧東海道そのものだった(気がする)。これが舗装路で無かったらまさしくタイムスリップしたに間違いないだろう。100余m幅員の道路を旧東海道と呼ぶのは烏滸がましい限りだ。そんな道路にしてしまった役人に処罰を与えるぞ。
歴史的な場所です。
武蔵の国と相模の国との国境です。案内看板を見ていると江戸時代にタイムスリップします。峠でもあり、茶店が並び旅人が一息入れる場所でも有ったようです。富士山も見えたようですが現在はマンションが立ち並んで景色を阻んでいます。もう少し西の環状2号境木交差点まで行くと天気のいい日は富士山がくっきりと見えます。焼き餅が名物で焼き餅坂の名前が残っています。坂の途中のマンションにもその名が付けられていました。風流です。
名前 |
武相国境モニュメント |
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ジャンル |
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電話番号 |
045-334-6227 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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旧武藏國と旧相模國の境・国境にある記念碑的モニュメント。