歴史薫る須岐神社の魅力。
須岐神社の特徴
素盞鳴尊を祀る須岐神社は、地域の信仰を集める存在です。
延喜式神名帳に記載される須岐神社は、黒川郡の重要な神社です。
陸奥国式内社の一社として、歴史ある須岐神社は魅力満載です。
延喜式神名帳の陸奥國黒川郡の項に須伎神社と記載のある式内社の論社の一社。境内の案内板によると、往古、西方の宮高森上に鎮座していたが、建久二年(1191)に現在の場所に遷座したという。御祭神は素戔嗚尊。由緒など不明であるが、おもしろいことに、神名帳の同じ黒川郡には行(ゆき)神社がある。この二社はそれぞれ、大嘗祭の東の悠紀殿と西の主基殿を示しているという説がある。
当社は延喜式神名帳記載の黒川郡四社の一社、創祀年代は不詳。もとは西方400mの宮高森山に鎭座していた。『赤崎大明神縁起」では、古社名を「韓鋤(からさび)神社」とあり、祭神を「鋤(すき)の神」とする説がある。当社からそれほど遠くない富谷に行(ゆき)神社が鎮座しており、行神社を「ゆき」と読み、当社を「すき」とし、当社を鋤神ととらえ農業の神とし、「ゆき」「すき」の一対に考えられるという説がある。天皇の即位の際に執行される大嘗祭では、悠紀(ゆき)殿と主基(すき)殿が設営され、京都より以東以南の悠紀地方と、以西以北の主基地方の両地方の斎田でとれた新穀を献上している。行神社は南、当社は北にあたる。鎮座地の駒場は源頼朝の奥州征伐のおり、当地で馬を休めたことによる。鎌倉時代初期の建久2年(1191年)、地頭亮玉彌太郎重成が現在地に遷座。赤崎大明神と称え、椚(クヌギ)千本を植えて神境とした。里人はこれを千本椚と称した。中世時代から支配領主たちの崇敬が篤く、延享3年(1746年)藩主の伊達宗村公は疾病平癒祈願のため、茂庭求馬が社参したといわれ、終始一貫して地方の名社として存続し、明治6年に郷社となる。社殿は宝暦10年(1760年)、神主斎藤能登守の時に新築・造営されたもので、流造、こけら葺きで小屋組柱露出吹放の覆屋(雨屋)がかけられている。拝殿は入母屋造萱葺、長床は寄棟造萱葺で大正13年(1924年)に再建された。平成3年(1991年)、天皇即位御大典を祝し、拝殿と長床は新しく建替えられた。平成13年(2001年)、亨保3年(1718年)に奉納されて大東亜戦争に際して供出されてた梵鐘を再鋳。氏子崇敬者により併せて鐘楼が建立された。御祭神:素盞嗚尊(スサノオノミコト)例祭日:5月3日。
駒場字下宮前にあり、郡内四式内社の一つで素盞鳴尊を祀る。本殿は流れこけ葺きで、覆屋がかけられている。拝殿には江戸時代中期から昭和期まで数多くの絵馬が奉納されている。例祭日は5月3日とし、子ども神輿と本神輿が渡御する。
名前 |
須岐神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
022-345-1395 |
住所 |
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HP |
https://miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020397 |
評価 |
3.5 |
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陸奥国式内 須岐神社です。社殿がオシャレで綺麗なのが印象的ですね。鐘もあります。