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名前 |
聖神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
聖神社(ひじりじんじゃ)は京都府綾部市老富町の三国岳の南側の谷に鎮座する神社です。ご祭神不明嘗ては「大蜘蛛神社」と呼ばれていたようで、舞鶴に伝わる土蜘蛛の「玖賀耳之御笠」との関連が推測されます。(『丹後風土記残欠』という資料では「陸耳御笠」という名で記録が残されており、最初は青葉山を拠点としていたが、日子坐王に追いやられて大江山に逃げ込んだと記述されている。)境内には鳥居、狛犬、覆屋、本殿、摂末社などの他にも、摂末社や手水舎のような跡があります。『奥上林村誌』藤元七家と聖明神時代は詳かでないが睦寄の里に、悪な武家くづれが徘徊、暴力勝手の振舞に人々は殊の外に難渋し不安の毎日を送った。其の頃有安に藤元善右衛門と云ふ弓の名人あり、人々の苦しみを絶たんとして一日山上より矢を放って悪人の胸板を貫き、名声は頓に上った。この頃大唐地の大くも谷に大蜘蛛一族が棲み、暴ぎゃくをほしいまゝにした。安住の危機に直面した住民はひそかに善右衛門に救いを請ふた。義侠の雄善右衛門は求めに応じて大くも一族と対決し、終に其の神技によって悪霊を退治した。住民は後難を慮り一社を建立して、ねんごろに其の霊を弔ふ。大くも神社が即ちこれである。恩に感じた大唐地内住民は毎年十月一日の祭礼には、善右衛門を賓客として招き最高の礼を尽すのを例とした。其の後年うつり星変って善右衛門の一家は益々栄え一族は七家にまで繁栄したが、このしきたりは連綿として続き、藤元七家と聖明神の奇しき宿縁のきづなをなしている。昭和の今日、銀輪を連ねて参拝する藤元七家の姿を見る毎に、この香床しい伝承と、往時の伝統を今尚護って生きる大唐地の人達の篤い信仰と純心さが心温かくしのばれるのである。神社より東側へ約2.5kmの場所にはシャガ・ミツマタ群生地があり、花時には素晴らしい景色が広がります。(2022/11/20撮影)