歴史を感じる、緑区の公園!
大入公園の特徴
1977年の宅地造成当時の雰囲気を感じる場所です。
ブランコの横には大きなクスノキがそびえています。
広場や遊具、水飲み場が整備された公園です。
1977年、宅地造成がほぼ終わったばかりのこの地はまだ住宅がまばらで、家が建っている場所のほうが圧倒的に少ない状態だったのをよく覚えています。広い造成地のそのわずかに建ったばかりの小さなお子さんの住む家に米軍戦闘機が墜落して犠牲者が出ました。事故から2日後にこの場所を訪れました。現在の公園がある場所は墜落機によって大きく地面がえぐられていた光景と燃え残った航空燃料の匂い、航空機本体の残骸は撤去されていましたが、多くの機体の破片が周辺に多数落ちでいたのを今も思い出します。
出先で立ち寄りました。閑静な住宅街ですが、広めでそれほど混んでいなかったので利用しやすかったです。時間帯によっては、近所の保育園の児童達が遊びにくるようです。人通りが少ないのでその点は少し気になりました。
ブランコの横に、大きなクスノキがある。
遊具もある。
広場、遊具、水飲み場、ベンチ、テーブル有りの公園。
米軍の戦闘機が墜落し、ここに住んでいた3人が亡くなりました。
良かったです🎵
米軍機が墜落したのはこの公園近辺です。
名前 |
大入公園 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
045-971-2300 |
住所 |
|
HP |
https://www.city.yokohama.lg.jp/aoba/kurashi/machizukuri_kankyo/jimusho/koen/list/kouen098.html |
評価 |
3.5 |
周辺のオススメ

昭和52年9月、小学校6年だった私は学校の帰り道、ここから南西に5キロほど離れた緑区新治町の丘の上から、雷鳴のごとき轟音とともに墜落する米軍ジェット戦闘機を目の当たりにしました。同級生とともに大変な事故が起きたと慌てて帰宅し、急ぎテレビのニュースを確認したことを、今も鮮明に覚えています。同日にマレーシアで日本航空の旅客機が墜落する事故が発生したため、報道においてもこの米軍戦闘機墜落事故は書き消されてしまいましたが、当時4歳だった私の妹よりも小さな幼子が犠牲になったことに私は大きなショックを受けたのでした。私はこの惨劇を目の当たりにした者として、生涯忘れることはないでしょう。