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名前 |
遠敷神社境内跡地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
ここ般若畑北林には、遠敷神社境内跡地の石碑があります。石碑の北東にはかつて遠敷神社が鎮座していました。遠敷はおにゅうと呼び、元々は小丹生(おにゅう)と言われていました。丹とは赤色の鉱物として地中に存在し、水銀朱である辰砂(しんしゃ)のことを指しています。徳山の門入はかつては水銀朱の産地であり、弘法大師空海により再建された赤坂の金生山明星輪寺においても水銀鉱染が著しいことから、古より西濃地方は辰砂が生まれる地であり、水銀の精製に関わる人達がこの辺りに住んでいたことがうかがい知れます。創建年月や御祭神等については不明ですが、遠敷神社は若狭にあり、祭神である遠敷明神(ニウズヒメ)は水銀を司る神様でもあるといわれていますので、時は江戸時代頃に遡るのでしょうか…、若狭の遠敷明神をこの地へと勧請したのではないか…と思われます。辰砂については、錬金術の最高峰といわれる賢者の石であること、不老不死の八百比丘尼伝説に関わりがあること、また空海ゆかりの地が鉱物産地に多くあることなど諸説あり、とても興味深いです。こうして石碑が建立されていることで、先人達の築いてきた歴史を知るきっかけとなり、次世代への継承へと繋がります。建立して下さったことをとてもありがたく思います。ひっそりと静かに佇む石碑の傍から、はるか古に思いを馳せつつ眼下に広がる景色を眺めていました。草刈り等、石碑の管理をして下さる方々に感謝いたします。