源頼朝ゆかりの安産祈願。
駒繋神社の特徴
鳥居をくぐると突然現れる、落ち着いた雰囲気の神社です。
源頼朝が愛馬を繋いだ松の木がある由緒ある場所です。
蛇崩川緑道沿いに位置する、散策にぴったりな神社です。
世田谷区下馬の蛇崩川緑道が蛇行する台地に祀られた駒繋神社。源頼朝が藤原泰衡を討伐する際に途中立ち寄り馬を繋いだことが名前の由来となっている。
今、「鎌倉殿の13人」が放映されていますが、1189(文治5)年、源頼朝は奥州の藤原泰衡征伐のため鎌倉を発ち、当地を通過する際、祖先である義家が当社に参拝したのを回想し、愛馬である芦毛馬を境内の松の木に繋いで参拝したといいます。そこから神社の社号は駒(馬)繋神社となったといいます。鎌倉殿も後半に入りましたが、古を偲んで参拝いかがでしょうか・・。
散策をしていると神社がありました。一つ一つのことがとてもきれいに掃除がされていており、この地域の人がいつでも立ち寄っても心地よさと、その瞬間の解放ができるような気持ちになりました。周辺の歴史を学べましたのですごく良かったです。
源氏ゆかりの神社で子の神とされ安産祈願の御利益があるそうです。世田谷の下馬にあり、駒場、馬事公苑、駒留など何かと馬に因んだ地名の多い世田谷区です。
世田谷観音まで歩いていたらこちらの橋が突然目の前に…静かな神社でした。
本日参拝しました。人馬一体、本当の意味で体験した方は少ないと思います。私は嫌と言う程此の意味を体験しました。我々人間は馬🐴逢っての生活を太古の昔より歩んで参りました。本日は馬🐴たちの分も手を合わせました。参拝後に近くの芦毛塚にも立ち寄りました。皆さんも動物に感謝し虐待を無くす様に力をお貸し下さい。赤の橋を渡り石段を登り廻りより少し高い位置にある静かな神社です。何かパワースポットに引き込まれた感じが参拝された皆さん感じられたのではないでしょうか?
東京都世田谷区下馬に鎮座する駒繋神社の書き置き御朱印を頂きに参拝。源義家が奥州戦役で、父・頼家の援護に向かう途上で立寄ったお社。つまりそれ以前から地元民に祀られたお社があった。後に源頼朝が奥州藤原氏を攻めた奥州征伐後に、高祖父である義家参拝に倣い参拝。その際、神社のある高台の真下、蛇崩川の低湿地が大変に泥濘み、頼朝公といえど馬から降りて歩かねばならなかったのでこの地を下馬(しもうま)。その湿地帯を抜けて馬に乗った所が上馬(かみうま)という地名の由来になったんだそうな。神社名の駒繋神社も、頼朝が参拝の際に駒(馬)を繋いだ松があり、そこから駒繋神社という名になった。
蛇崩川、面白いです。
蛇崩緑道に面した丘の上にある神社で、源頼義・義家父子、源頼朝にまつわる言い伝えが残されているとのこと。境内は木々が多く静かで、落ち着いた気持になります。
| 名前 |
駒繋神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
03-3414-8369 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
中三谷の台地から北へ伸びた岬(根)の突端に鎮座しています。源頼朝が馬を繋いで戦勝祈願したことから駒繋神社となりましたが、もとは子の神社(ねのかみしゃ)であったとのことです。子の神とは、十二支の始まりであることから「生産」の神であり、あるいは、ねずみを使いとする大黒様とも解釈されています。ここから400mほど東に「子の神公園」があり、元の社号の名残りかと思われます。境内には、明治30年代に下馬の清水藤蔵氏が餅米の品種改良に成功した旨の説明板が設置されていたり、「下馬土地区画整理記念碑」が建立されていて、なるほど、稲作に関わりが深いことが示されています。とても穏やかで静かな空間です。