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案内板には下記のとおり記載がありました。近くにある末廣神社にも同様の記載がありました。江戸時代の初め、元和3年(1617)に葦の繁茂する湿地を理立して造成されたのがこの土地です。一方、14,000坪を堀で囲んだ遊廓は江戸一番の歓楽の地と成りました。しかし、明暦3年(1657)の江戸の大火で焼失した吉原遊廓は39年間この地で栄えましたが、浅草山谷へ移されました。後地は新和泉・住吉・高砂・浪花の4ヶ町の商業の地となり、周辺の商店と共に大いに繁昌し今日に受けつがれています。