新宿三丁目で江戸情景を発見!
新宿元標ここが追分の特徴
新宿三丁目交差点近くにある歴史的印があります。
江戸時代の様子を描いた簡易地図が見られます。
かつての追分と甲州街道の分岐点に位置しています。
ここのエリアの…その昔…江戸時代のようすの簡易地図が絵と共に描かれていました。
新宿三丁目交差点にある新宿追分の印です。新宿駅などの現代の位置図と江戸時代の位置図が記されています。
新宿3丁目の交差点近くの歩道に『新宿元標ここが追分』の絵が描いてあります。江戸の昔、ここが青梅街道と甲州街道の分岐点だったそうです。新宿は、品川(東海道)、板橋(中山道)、千住(日光街道、奥州街道)と併せて四宿(ししゅく)と呼ばれ、江戸時代の繁華街でした。準公認の遊所があり、飯盛女がいっぱいいたそうです。三遊亭円生の落語「文違い」は内藤新宿の廓噺で、聞いているとなんとなく想像が出来ます。靖国通りに面した成覚寺は、内藤新宿の女郎達の投げ込み寺『宿場町を支えた彼女達の存在が、新宿発展の一面を物語る貴重な歴史資料』だと教育委員会≪芸者すりゃこそ御召(おめし)の着物、家じゃお飯(おめし)も食いかねる≫今でも、四宿の、品川⇒大井町、板橋⇒赤羽、千住と≪酒場の名店≫が、多いのも関係ありそうです。
当時の様子を少しでも垣間見れた感じがします。
新宿三丁目の交差点、伊勢丹の角はかつて追分と呼ばれ、甲州街道と青梅街道(成木街道)との分岐点でした。ここに追分の地を記念する「新宿元標」があります。交差点の歩道、ちょうどJTBの前に標柱とモニュメント。平成11年3月設置と記されています。今までに何度となくここを通っていたのに、全く気づきませんでした。でも、こうしてよくよく見ると、けっこう立派です。四谷方面から内藤新宿に入った甲州街道は、ここで左に折れ新宿駅南口方面へ。そのまま直進する道は青梅街道で、伊勢丹の前を通り新宿駅東口方面へ続いていきます。青梅街道は、江戸時代前期は成木街道と呼ばれ、青梅から江戸へ石灰を運ぶ道として整備されたそうです。また甲州への道中が甲州街道よりも短く、関所もなかったことから庶民にも利用されたとのこと。甲州裏街道なんて呼ばれたそうです(…青梅街道についてはWikipediaを参照しました)。
名前 |
新宿元標ここが追分 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
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普段、混雑しているこの交差点だが、是非足を止めて見て頂きたいものがある。それが、甲州街道(国道20号)と青梅街道(国道4号)の追分(分岐点)を示すタイルの絵と道標である。かつて多くの旅人達がここで別れ江戸を離れ、ここで出会い江戸(日本橋)に向かったのです。