玉川上水の歴史を感じる。
玉川上水跡の特徴
昔の玉川上水に架かっていた橋を記す石柱が存在します。
玉川兄弟が作ったとされる歴史ある場所です。
緑道や橋跡で歴史をしみじみ感じられます。
案内板あり。以下に転写する。「ここには、かつて神田上水とともに江戸の二大上水と呼ばれた王川上水が流れていました。現在は暗渠となり、当時の面影を偲ぶことはできませんが、各所に残る橋の欄干は玉川上水の名残です。江戸時代初期、江戸の住民は神田上水と赤坂溜池の水を飲料水として利用していましたが、江戸市中の発展につれ水不足をきたしました。そこで、承応元年(一六五二)に玉川上水開設の計画が立てられたのです。同二年正月、幕府は庄右衛門・清右衛門兄弟に工事請負を命じました。ここに老中松平伊豆守信網を惣奉行とする、王川上水開設の計画はスタートしたのです。信綱の臣安松金右衛門の設計に従い、多摩郡羽村に堰を設けて取水口とし、四谷大木戸まで約四十三キロの開削水路を通し、そこから先は地下に配管(石樋、木樋)を敷設するという、当時としては非常に画期的な工法がとられました。このほかに玉川上水は、江戸市民の飲料水供給にとどまらず、灌漑用水や新田開発など武蔵野台地の発展にも計り知れない恩恵を授けたのです。」各所に欄干があるらしいが、案内板近辺には見当たらない。水道橋本郷にある水道博物館に行くことを勧める。
道路の脇に、昔玉川上水に架かっていた橋の名前を記した石柱がたっています。また、春は桜がきれいです。
看板のみですがこの一帯の緑道と、橋跡に対して歴史を感じられます。
玉川上水跡の説明板。
盗難(原文)Goid
保育園児の遊び場にもなっています。大きくなったら、玉川上水の歴史的意義などを学んでもらえたら、と思います。
玉川兄弟が活躍して作ったと言われている勇名な玉川上水の名残を今に伝える史跡です。現在は地下に京王線が通っているので、肝心の玉川上水はどこに消えたのだろうかと疑問に思っています。地上部分は緑道公園になっています。正式にはくるくる公園という名称だと地元の八百屋さんに聞きましたが、看板表記もなく、渋谷区の広報地図にも記載ないので、真偽はわかりません。新宿駅方面から歩いて自宅に帰るときはここを通るのが一番の近道なので、歴史を身近に感じることの素晴らしさが素敵だと思っています。
説明板があります。
Abuts a somewhat dirty promenade.
| 名前 |
玉川上水跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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公園の入り口に看板があります。