鬼平の供養塔、歴史感じる寺。
戒行寺の特徴
江戸時代の歴史を感じる落ち着いた佇まいのお寺です。
鬼平こと長谷川平蔵の供養塔が境内にあります。
戒行寺坂の坂上に位置し、お洒落な雰囲気があります。
2023年6月訪問。ご住職がご不在とのことで書き置き(プリント)の御首題を拝受。噂通りの塩対応でした。
落ち着いた佇まいは、歴史を感じる佇まいです。
戒行寺坂の坂上にある。この界隈は寺院が多いが、江戸城の拡張と外濠の建設で麹町周辺の寺院が移転してきたもの。一軒家風の小じんまりとした寺が多いのが特徴。寺門の見越しの松が良い感じです。
戒行寺坂の上に、言葉通りに佇むお洒落なお寺です。長谷川平蔵の菩提寺と聞き、お参りしました。お墓自体は墓地整理で残されてはいないのですが、碑が立っており、お参りさせて頂きました。
長谷川平蔵のお墓があります。境内には先代ご住職の書かれた字が沢山あり、先だってしみじみ眺めてきました。
火付盗賊改方の鬼平こと長谷川平蔵の供養塔を観に行ってきました。
妙典山戒行寺。身延山久遠寺の末寺で宗派は日蓮宗。文禄4年(1595年)に麹町に建立し、寛永11年(1634年)に江戸城外堀工事のため四谷に移転。以前は、長谷川宣以(長谷川平蔵)、父・長谷川宣雄、子・長谷川宣義の3代の墓があったそうですが、戒行寺の墓所は杉並区堀之内3丁目に移転したため、今では長谷川平蔵の供養塔が建つのみとなっています。平蔵の墓は行方不明になったとか。また、戒行寺には長谷川宣以のほか、52代・安部式部(安部信旨) 、103代・桑嶋政恒、107代・山岡景之、139代・長谷川宣雄、146代・菅沼定亨の合計6人の火附盗賊改が葬られているそうです。【追記】小松健一さん著の「鬼平犯科帳から見える東京21世紀」によると。こちら戒行寺は史実の長谷川平蔵の菩提寺であり、「長谷川平蔵供養之碑」が建てられている。父の長谷川宣雄、宣以(平蔵)、息子の宣義(辰蔵)の3人が埋葬されたが、その後の墓所移転で、現在は戒行寺に平蔵らの墓はない。『寛政重修諸家譜』によると、平蔵は寛政7(1795)年5月19日死去だが、戒行寺の過去帳では5月10日になっている。平蔵は使者を通じて5月14日にお役御免を幕府に願い出ており、10日の死去後、退職などの手続きを終えて19日に死去を公表したと解釈されている。とのことです。
鬼平犯科帳で有名な長谷川平蔵の菩提寺。ただし、お墓は明治以降に行われた墓地整理によって当地にはないようです。
コジャレた感じのお寺さん。
名前 |
戒行寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3353-8477 |
住所 |
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評価 |
3.7 |
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この辺りの寺院は江戸城(外堀)の拡張を理由として移転したものが多く、こちらもその1つ。更に墓地が移転(杉並区)しているのは珍しい。ただ、平蔵の他に5人の火付盗賊改方の墓地は残されている。鬼平ファンと思しき方が数名、訪れていた。