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名前 |
御手植樹(大正天皇植樹紀念碑) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
樹木を囲う柵に、事績を示す漢文が確認できる。以下、漢文を読むに当たっての経緯を記載する。明治四十五年五月上旬に、早稲田大学学長高田早苗は、大隈重信総長に対して、波多野東宮大夫(後の大正天皇)の行啓をお願いしたい旨を相談した。天皇制擁護の立場色濃く、また、立憲思想のイデオロギーを世に広めた高田早苗は、創立から二十数年、ようやっと体裁の整った早稲田大学を皇室関係者にどうしても見てもらいたかったのだろう。これを受けた大隈重信は、「難しいだろうけれど、兎に角お願いしてみよう」と言い、五月八日、東宮御所を訪れ、その旨を願い出た(大隈重信は東宮大夫と知己であった。)。すると、五月十五日、東宮御所から明後日に早稲田大学へ訪問する旨の通牒が届く。まさか本当に大学に来るとは思っていなかった早稲田大学首脳陣は、急ぎ、東宮大夫を迎え入れる準備を行った。特に高田早苗は、2日間昼夜を問わず、植木職を激励・指揮し、広範囲に芝生を植えさせ、また躑躅や多数の樹木を植えさせて、校内の風致を整えさせたのだという。明治四十五年五月十七日、殿下は、まず大隈重信邸を訪れた。その際には、山吹町通りの左右に一万人の学生が配されていたという。そして、大隈邸にて、食事を取った後、温室と広書院を見学し、早稲田大学へ移動。恩寵祈念館にて写真を撮り、南極探検隊が持ち帰ったペンギン等を見た後に、教職学生一万人に対して挨拶を行って、万雷の万歳三唱を受ける。その後、理工科各学科の実験室を巡覧。政経科、法科、文科、商科において、「ウォーターロー戦後のナポレオン」等の講義を聞召し、そして、当地において、東宮大夫自ら月桂樹を植えた。以下、私訳等。原文】御手植樹今上在東宮時鶴駕親臨覧講学之状手植此樹寵焉實明治四十五年五月十七日也大正二年五月書下】御手植樹今上、東宮に在りて、時に鶴駕親臨し、講学之状を覧して、此樹を手植す。焉に寵ず。實に明治四十五年五月十七日なり。大正二年五月。私訳】今上天皇が皇太子であられたとき、お車に乗って行啓遊ばされ、学問研究の有り様をご覧になられた。そして、この樹を手植えなされた。愛しむものである。これは明治四十五年五月十七日のことである。大正二年五月。東宮大夫は、この歓待に満足し、大学に対して、御定を出す。対する高田早苗は、これを非常に誇らしく思った様で、回顧録にこれをよくよく記載している。