江戸時代の歴史を感じる分水路散歩。
水道橋の特徴
分水路を散策するには最適な直線コースが魅力的です。
石の碑が立つ歴史的なスポットで散歩が楽しめます。
治水の安全度を高めた4本の分水路の跡地を探訪できます。
分水路散歩をするにはひたすら真っすぐな道で一番歩きやすいです。(もちろん分水路の外です)お茶の水分水路呑口近くには、神田川の分水路案内図があり、他の分水路の位置関係を把握できます。
立派な石の碑があります。かんだがわよ分水路の案内図もあります。更に水道橋駅側に橋桁のような彫刻作品?があります。
江戸時代、この辺りには神田上水が神田川を越えるために設けた懸樋があったそうです。1658年~1661年(万治年間)に架け替えられ、俗に万年樋と呼ばれたとのこと。神田上水は、江戸で最も早く整備された上水といわれ、1596年~1615年(慶長年間)に整備に着手したといいます。井の頭池・善福寺池・妙正寺池を水源とし、現在の文京区関口あたりに堰が設けられ、小日向台から小石川後楽園を通り水道橋の下流に達しました。懸樋によって神田川を越えた上水は、この辺りから暗渠(埋樋)となり、南は京橋川、東は永代橋より大川(現在の隅田川)以西、北は神田川、西は大手町から一橋門外まで供給されました。なお、関口で神田上水から分水した余水は河川となり、牛込門外(現在の飯田橋)までは「江戸川」、牛込門外から下流は「神田川」と呼ばれました。
治水の安全度を高めるために、4本の分水路を造ったそうです。
千代田区には、江戸時代の生活を支えた重要な歴史遺産が残っています。それが、神田上水懸樋です。神田上水は、井の頭や善福寺などから引かれた水を江戸市中に供給する大規模な水道施設でした。神田上水懸樋は、その水路が神田川の上を渡る際に作られた橋のような構造物です。木製の樋が架けられ、その上を水が流れ、江戸の町へ命の水を運んでいました。この懸樋は、江戸時代の人々の生活を支える上で欠かせない存在でした。現在は、当時の姿をとどめるものは残っていませんが、その跡地には史跡碑が建てられ、江戸時代の水道の技術の高さを物語っています。その水道があったことから近くにある駅は、水道橋と言われています。
| 名前 |
水道橋 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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浮世絵や、明治初期の写真にも残る掛樋跡です。その美しさから是非来たいと思っていました。今は石碑だけですが、浮世絵や写真の景色を想像することができます。木製の木樋や石製の石樋が使われ、水道橋と水道橋駅の由来になりました。