養蚕の歴史を感じる貴重な建築。
旭川市指定文化財 養蚕民家の特徴
厳しい冬を耐え抜いた養蚕民家の歴史を感じることができます。
1909年に建設された貴重な木造2階建の建物です。
北海道で知るべき養蚕の文化を伝える素晴らしいスポットです。
チョボチナイゲートから嶺雲橋を渡り東川に向かう途中右前方に現れたのがかやぶき屋根の養蚕をやっていた建物でした。北海道でかやぶき屋根珍しいので立ち寄った場所で雪をかぶったかやぶきも見てみたいですね。
このような場所があると、最近まで知りませんでした北海道で、しかも旭川でこの建物であれば、冬は厳しかっただろうなと感じましたまた、維持管理も大変だろうなと感じました無料で見せていただき、ありがとうございました。
建設年 1909(明治42)年 構造 木造2階建東旭川の米飯(米原・瑞穂)地区は、1898(明治31)年以降福島県人が団体で入植した。郷里では養蚕を主な産業としていたこと、開墾前から野生の桑が多く生息し、養蚕に適していたこともあり、入植後全道屈指の養蚕地として知られ最盛期の1919(大正8)年には、310戸になった。この建物は、福島出身の松浦繁松が建てたもので、本格的養蚕民家建築として貴重であることと現存唯一のもので、1973(昭和48)年に旭川市文化財に指定した。1990(平成2)年から1年かけ解体・復元を行い、萱もそのときに葺き替えられた。
北海道では非常に貴重な養蚕の歴史を今に伝える建築です。周囲に何もないので、ここだけを見に行く方は少ないかもしれません。無料で見学できます。以下、旭川市のホームページより抜粋東旭川の米飯(米原、瑞穂)地区は、明治31年以降福島県人が団体で入植した土地である。郷里では養蚕を主な産業としていたことと、道庁の強い奨励策もあって、入植後ほどなく全道屈指の養蚕地として知られるほどになった。この建物は、明治42年福島出身の松浦繁松が郷里の養蚕民家を模して建てたもので、他に例のない本格的養蚕民家建築として貴重であることから、昭和48年3月19日旭川市文化財に指定した。屋根は片あずまと呼ばれる一端が半切妻、もう一端が寄棟の形式で、厚く葺かれたカヤ、軒の高い構えとあいまって独特の外観を構成している。建物内部は、1階座敷部分が2階まで吹き抜けとなっているほか、蚕(かいこ)を飼育するうえに必要な採光、通風、保温を確保するため、2階の縁側や大型の炉・煙り出しなど各所に伝統的な養蚕技術に基づく工夫がこらされている。
名前 |
旭川市指定文化財 養蚕民家 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
https://www.city.asahikawa.hokkaido.jp/kurashi/329/348/353/p000162.html#sisitei |
評価 |
4.0 |
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養蚕民家 旭川市 2024/07/2521世紀の森から旭川市内へ向かう途中で「養蚕民家」と看板があったので、立ち寄り。北海道で養蚕って意外だったけど、いろんな地域から北海道へ入植しているから、養蚕があっても当然なんだよな。