境内の美しさと歴史、隠元禅師の教え。
海福寺の特徴
永寿山海福寺は、隠元禅師が1658年に開創した歴史ある黄檗宗の寺です。
境内の梵鐘は中国風と日本古鐘の特徴を兼ね備えた珍しい形です。
目黒不動尊近くに位置し、江戸時代の供養塔の見所も豊富です。
2021.1.10 現在 御朱印対応していないようです。※御朱印が全てではないのに!と言われる方もいらっしゃるとは思いますが、それでも御朱印目当てで口コミを見られる方もいると思うので、御朱印巡り視点で書かせていただきました。※不対応のクチコミについては★は可もなく不可もなくで基本は3個で。当然、御朱印が全てではないですし、受付してくれないからという理由だけで低評価は致しません。(とりあえず★を入れないとクチコミできないので基本は平均的な★3にさせていただいております。ただし、丁寧な対応だと評価はもちろん良いですし、失礼な対応を受けたら評価は下げることにはなります)※日付時点の情報ですので、後ほど対応可になることもあるかと思います。あくまでも参考としていただいて、頂けるか否かはご自身で改めてお調べ頂きますようお願いします。
永寿山海福寺。黄檗宗の寺院。御本尊は釈迦如来坐像。黄檗宗の寺院の山門は竜宮門が多い様に感じますが、海福寺は朱塗りの四脚門。この四脚門は宇和島藩伊達家の寄進によるもので、新宿区上落合にあった同じ黄檗宗の泰雲寺に建てられ、廃寺になった際に海福寺が合寺し、同時に移築されたそう。
静かで良い所です。
〔永寿山 海福寺/Kaifukuji Temple〕明の国から来た僧侶 隠元禅師が、万治元年(1658年)に江戸深川に開創した、黄檗宗のお寺です。明治43年(1910年)に、現在地の目黒に移転し、上落合の泰雲寺を合寺しました。赤い四足門、梵鐘など、感銘を受けます。江戸時代に落橋した永代橋の、犠牲者の供養塔もありました。〔アクセス〕目黒駅 徒歩18分。
隅田川永代橋の崩落の大惨事の際に深川の海福寺に建てられた供養塔が目黒区のこの寺にある。永代橋の崩落は深川八幡の祭礼の際に押し寄せた江戸庶民約1000人が命を落とした江戸の大惨事であった。(写真)当時海福寺は永代橋からほど近い現在の江東区深川2丁目辺りにあった。(写真)江戸名所図会にはかっての大寺の様子が伺える。(写真)明治期に現在の地へ引っ越してきた。(写真)参道奥の階段をのぼると四本柱の珍しい山門がある。(写真)山門前の左側に古びた二基の供養塔が建っている。(写真)忘れずに供養されておられる方がいるようで真新しい花が添えれれている。(写真)彫られた字は風化してきているが、溺死した方の法名が彫り込まれている。(写真)両国、浅草、横山町などの方のようだ。崩落事故から何百年を経過しているがいまだに供養され続けていることに感動を覚える。
1658年、黄檗宗の開祖、隠元隆琦が、江戸深川に創建、1910年、現在地に移転。「永代橋沈溺諸亡霊塔」が目の前にある。1683年作の梵鐘( 東京都指定有形文化財)、推定12世紀頃製作の阿弥陀如来像 (目黒区指定文化財)、江戸時代中頃の作の四脚門(目黒区指定文化財。宇和島藩伊達家の寄進による。明治後期に廃寺となった泰雲寺より移築)がある。
黄檗宗の禅寺。昔、深川にあったという鐘や武田信玄ゆかりと言われる九重の石塔等ある。御朱印はありません。
おじいさんの23回忌の法事で。帰り際、滝のような雨に降られましたが、傘を貸していただいて、助かりました。
明から来朝した隠元隆奇が万治元年1658年に江戸深川に開創した黄檗宗のお寺でしたが、明治43年1910年にこちらに移転しました。本尊は釈迦弁尼像です。山門の四脚門は宇和島藩伊達家から寄進されました。明治後期に現在は廃寺になってしまった新宿の奏雲寺から移築したもので、目黒区の指定文化財です。境内の梵鐘は日本の伝統の様式に中国の柔らかさを取り入れた独特の造りというもので、東京都の指定有形文化財です。文化四年永代橋崩落横死者供養塔という慰霊塔があり、深川八幡の祭礼の時に人手が多く、その重さで橋が落ちて千数百人もの人々が亡くなったという悲劇があったそうです。九重の石塔もあり、武田信玄の屋形に置かれていたと伝わっています。そんなに広い境内ではないのですが見所がありました。
名前 |
海福寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3712-5616 |
住所 |
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HP |
http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/gakko/bunkazai/shitei/kushitei/kaihukujisikyakumon.html |
評価 |
4.1 |
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境内の庭が綺麗に手入れされていますベンチがあるので助かります。