神楽坂・逓信病院近く、歌人ゆかりの石碑。
与謝野鉄幹・晶子旧居跡の特徴
逓信病院の一角にひっそりと佇む渋い石碑が目を引く場所です。
与謝野鉄幹と晶子の住居跡を感じられる雰囲気が漂っています。
神楽坂界隈散策ルートにあり、訪れる価値のあるスポットです。
情熱的かつ華麗な歌で知られる天才歌人「みだれ髪」「君死にたまふことなかれ」など代表的作品与謝野鉄幹1873年-1935年(62歳没)与謝野晶子1878年-1942年(63歳没)
ここに住んでたのかー という感じはある。斜面になっています!
現在では石碑と看板があるのみです。
出張の空き時間に立ち寄りました。
現時点では建物は何も残っておらず、石碑があるのみ。
神楽坂界隈散策ルートグーグルマップに表示されます。検索しないと表示されません。コース通りに並べています。約1時間東京大神宮(縁結びで有名な神社 お守りが人気)・・神楽坂下から徒歩5分与謝野鉄幹晶子 居住跡(調べていくとおもしろい 夫婦円満)泉鏡花旧居跡 北原白秋旧居跡(調べていくとおもしろい)見番横丁(芸子さんの事務所=けんばん屋のある横丁)芸者新道(多くの芸子さんがお座敷へ向かう横丁)かくれんぼ横丁(某ドラマ撮影で使われました)毘沙門天(財宝の神様 狛犬でなく狛虎)兵庫横丁(神楽坂を代表する横丁)赤城神社(赤城姫命が合祀、良縁成就 国立競技場の隈健吾設計)併設のあかぎカフェの紅茶でおしまい。
石碑と説明のたて看板があります。
8年間住んでいた場所。
すぐ近くに「逓信病院」があって、良い目印になります。説明板には下のように書かれていました。 二人は明治34年に結婚し、大正4年から大正12年の関東大震災まで当地に居住した。 また、二人は、神田駿河台の「文化学院」の創立(大正10年)に貢献し、教鞭をとった。 明治37年「明星」に掲載された晶子の「君死ぬたもうことなかれ」は戦地にいる弟(鋳三郎(ちゅさぶろう)の身を案じた詩としてあまりにも有名である。
| 名前 |
与謝野鉄幹・晶子旧居跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/bunka/bunka/chome/kioku/yosanotekkan.html |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
逓信病院の一角にひっそり佇む石碑は渋い!