江戸の港、米と醤油の集う地。
牛込揚場の特徴
江戸時代には海から船が上がり、物流の拠点だった歴史を感じられます。
全国各地から運ばれた米や味噌などが荷揚げされた岸の跡地です。
碑文が残るこの場所で、当時の物流の重要さが学べる見どころがあります。
江戸時代には海からここまで船が上ってきて、全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油、酒、材木等がこの岸で荷揚げされたそうです。
うしごめあげば。明歴の大火の後に急速に広がった江戸の物流を支えるために建設された外堀の河港跡。今は暗渠化されてしまっているので、パッと見で川なんて見当たらないが、少し水道橋方面に下ると暗渠の入口が見られる。ここで積み降ろされた荷物は、荷物運び(軽子)がえっちらおっちらと軽子坂を使って神楽坂上まで運んだという。
碑が建っており、下のようにあった。江戸時代には海からここまで船が上ってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれた。 昭和四十七年(1972)に都の市街地再開発事業として、ビル建設が決定され飯田濠は埋め立てられることになったが、濠を保存してほしいという都民の強い要望から、ビルの西側に飯田壕の一部を復元すると共に、以前水面があったことにちなんで約二百三十メートルのせせらぎを造った。 小濠の水は、このせせらぎの地下水路を通って昔のとおり神田川に注いでいる。
名前 |
牛込揚場 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.9 |
周辺のオススメ

碑文から物流を掌る場所だったことが知られた。