桜と歴史が交差する碑。
切支丹屋敷跡の特徴
桜の季節には訪れる価値がある史跡です。
イタリア人宣教師のジュゼッペ・キアラの歴史的背景に触れられます。
江戸時代の禁制キリシタンの痕跡を感じられる場所です。
藤沢周平『市塵』のなかで~新井白石と切支丹宣教師シドッチ(イタリア/シチリア/パレルモ出身)のやりとりに興味をもって 同場所を訪ねました。彼が所持していた『聖母像』通称“親指のマリア”は 東京国立博物館蔵 重要文化財です。昨年12月末に遭遇 拝観しました。
昭和30年代ころまで、小日向1-14辺りに八兵衛の夜泣き石と教会があった。この石碑は、何度か置かれていた場所が移動している。
石碑しか残っていませんが、過去の歴史が詳しく紹介されているので、近くに行った時は一見する価値はあると思います。
寛永20年 1643年に筑前国へ漂着した、イタリア人宣教師 ジュゼッペ・キアラら10人を収容した施設跡。1792年まで使用された。2014年にイタリア人宣教師 ジョバンニ・シドッチの骨が発見され、俄かに脚光を浴びた事がある。シドッチは日本史の中に登場する、新井白石が記した西洋紀聞 采覧異言に影響を与えた。現在は住宅街になっていて、石碑が残るのみ。
ちょうどこの近くで現場をやっていたので寄ってみました。「沈黙」。
明治、大正の頃の奇談、怪談に時々出てくる史跡。今はマンションや住宅に囲まれて、石碑があるのみ。時代の流れだから仕方ないが、石碑のみだと味気ない。石碑の向かい側に小日向周辺の遺跡についての案内板があり、何となく切支丹屋敷の規模は想像できるかな。
営業でお客さんのところにお伺いする際に、いつもと違う経路で行った際にたまたま見つけました。受験で習った、ヨハン・シドッチ。江戸時代中期に屋久島に潜入し掴まってしまった宣教師。イタリア人だったと記憶している。新井白石に尋問を受け、確かそれをもとにした書物を残してるはず。「西洋紀聞」と。なんだっけ?まさかその牢屋敷がここにあったなんて。このあたりの坂を下ると飯田橋や江戸川橋付近になるはず。外堀の外ではあるが、かなり江戸城にも近い。あえて目の届くところにおいたんだろうか。私もかなり以前興味があったので調べたことがあったのだが、シドッチ以後、外国人宣教師の入国は記録になく、さらに数年前に発掘調査したところ、数名の人骨が見つかり、鑑定の結果、シドッチ本人であることが確定したという。残りの二つは、恐らく世話をしていて感化、洗礼を受け、同じく罰せられた世話人夫婦だと思う(私見ですが)。とにかく、思わぬ歴史に触れることができた。
俺はたまたまの通りすがり。橋本さんと伊藤さんのレビューが秀逸なので、そちらを参照下さい。
キリシタン牢屋敷があった所は縄文時代より人が定住した所でした。高台にあり下は茗荷谷という谷でした。
名前 |
切支丹屋敷跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-5803-1174 |
住所 |
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HP |
http://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/shiseki/kirishitan.html |
評価 |
3.7 |
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桜の季節にもう一度行こうと思います。