明治大学発祥の地、歴史に触れよう。
明治大学発祥の地碑の特徴
明治大学発祥の地碑は1881年に開校した歴史的な場所です。
数寄屋橋公園近くに位置し、アクセスが良好なロケーションです。
石碑には創立者の名前や歴史的な説明が記載されています。
明治大学発祥の地いまはこの石碑があるだけの場所です。
明治14(1881)年1月、旧島原藩邸に明治法律学校として開校し、5年後に神田駿河台に移転。明治36(1903)年に専門学校令により明治大学と改称。大学令による大学設立認可は大正9(1920)年。この年に校歌(作詞 児玉花外 作曲 山田耕筰)公示。
数寄屋橋公園近くに「明治大学発祥の地」の記念碑があります。明治大学というと神田駿河台なのかなと思いましたが違ったようです。明治法律学校(現明治大学)として明治14年1月17日に旧島原藩上屋敷に開校したとのです。
明治大学発祥の地だそうです。銀座駅出口C1
明治大学って駿河台が発祥じゃなかったんだ…校歌に駿河台って出てくるのにな〜明治法律学校時代は有楽町にあった🏫
明治大学は校歌にも「白雲なびく駿河台♪」とあるように神田駿河台の学校として知られていますが、そのスタートは1881(明治14)年に岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の三人の創立者によって開校された明治法律学校です。明治法律学校は当時の麹町区の数寄屋橋の一角となる旧島原藩上屋敷跡に開校されたそうです。その発祥の地を表すべく、現在の有楽町・数寄屋橋交差点近くに赤い御影石で作られた立派な「明治大学発祥の地記念碑」が1995年に立てられています。ここで開校して5年後の1886年(明治19年)には現在の神田駿河台へ移転し、現在の明治大学の繁栄につながっています。
数寄屋場公園の近くで分かりやすい。
周辺道路の工事で一時移設されていましたが、ホームぺージには3月~4月再設置予定とあり、2019年9月現在はこの場所で見ることができています。明治大学のキャンパスは駿河台、和泉、生田、中野の四か所ですが何故ここに?と思ったら大学発祥の地だからとか。
明治大出身者ではありませんが、一応見に着ました!出身者の方は是非!
| 名前 |
明治大学発祥の地碑 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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明治大学のHPより引用し、紹介したい。明治法律学校(後の明治大学)は岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操の三人の創立者によって1881(明治14)年1月17日、麹町区の数寄屋橋の一角(現在の有楽町・数寄屋橋交差点近く)、旧島原藩上屋敷跡に開校しました。発祥の地記念碑は、明治大学の建学の精神を顕彰し、教育の近代化の道標を明らかにしようと1995年11月2日、東京・有楽町(千代田区有楽町二丁目)に建立しました。大正9(1920)年に校歌(作詞 児玉花外 作曲 山田耕筰)公示。発祥の地碑の類のなかではかなり立派な造りとなっている。 (再)