銀座の隠れた踏切跡、歴史感じる。
浜離宮前踏切跡の特徴
昭和6年から昭和62年まで使用された踏切が残る歴史的スポットです。
銀座に唯一存在する鉄道踏切信号機が静かに佇んでいます。
中銀カプセルタワービル近くのひっそりとした場所にあります。
踏切信号機がポツンとある過去を偲ばせる場所だが少し錆びてるので保存が心配です。
2023年9月7日訪問しました。かつてはここに築地市場を発着する鉄道が通っていたのですね。その時の光景を想像させてくれる記念物を残していただけてる事だけでもありがたい事だと思います。土台のコンクリートは砂利多めで歴史を感じさせてくれる物でした。
鉄道遺構。案内板によると、昭和61年(1987)まで使われてた?ようで、汐留と築地市場を貨物列車が通じてたとの事(つい最近の様な気がします)。踏切の信号?と緩やかなカーブが当時をしのばれます。
とあるイベントで訪問いたしました。街の歴史が実際に残っているのはいいと思います。
この踏切は、昭和6年(1931年)から昭和62年(1987年)までの56年間、旧国鉄汐留駅から東京都卸売市場·築地市場との間の引込線の踏切として使用されていた。最盛期には、1日150両の鮮魚を運ぶ貨車などが通過したそうである。旧国鉄汐留駅が廃止となると引込線も撤去されたが、地元の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として保存された。
これは昭和六年から昭和六十二年までの五十六年間運用された警報機だという。「うーん?戦前の警報器?」というのが,正直な感想。そこまで古いものの様に見えない。ただ,警報器の型式に詳しくなく,年代の判断ができないので,何とも言えない。また,しっかりと管理はされておらず,ペンキ剥げからの雨水の浸食,それによる錆が目立つ。この有り様では,そう長くは持たないだろう。この警報機自体は全国どこでも見られるものではあるが,銀座唯一の警報機という意味で稀少価値があり,また,かつて当地に路線があったことを偲ばせる意味でも歴史的価値がある。目の前の片道一車線道路が鉄道路線跡。この路線は,東京市場線と呼ばれ,全長1キロ前後の短い貨物線であった。九州・中国・北海道・東北地方から出発した列車が超特急で,旧国鉄の線路網を使って,汐留駅(現電通ビルのある区画)に至り,そして,この路線を使って,築地市場まで生鮮食品を運んでいた。一日多いときでは150輌の貨物列車が通ったという。何輌編成かは分からないが,10輌編成だとすれば,一日15本程度か。また,築地に生鮮食品を運ぶのだから,夜中から明け方の内に往復して運び込んだに違いない。古い航空写真を見る限り,遮断機はなかった様に見えるので,おそらく昼は稼働していなかったのではないだろうか。
流石に線路は残っていないが、大きなビルに囲まれてたった一つ小さな主張をしていた。残してくれたことに感謝しなくてはならないとは。
銀座から歩いてすぐの場所にある浜離宮の前に踏切が1つだけポツンとある。廃線となった鉄道「東海道本線貨物支線」の踏切だ。東海道本線貨物支線は、現在の港区新橋にあった汐留駅から中央区築地にあった東京市場駅までの1.1kmの貨物路線。築地市場の外周に平行して大きなカーブを描いて線路が敷設されていて、主に水産物、青果物などの生鮮食品を輸送していたようだ。踏切の台座部分に説明板があり次のように記されている。この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987年)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京都中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されていました。最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止とともに引込線も撤去されることになりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
中銀カプセルタワービルの近くにあります。たまたま散歩していたら発見!汐留駅と築地市場を結んでいた貨物線跡。銀座にこのような物が残っているとは、全く知りませんでした・・・。
| 名前 |
浜離宮前踏切跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ここかから東に続く道路に軌道敷を感じます。