東京タワー下の静寂、御朱印巡り。
金地院の特徴
江戸三十三観音の第二十八番札所で御朱印がいただける場所です。
金地院崇伝ゆかりの臨済宗南禅寺派の歴史ある寺院です。
東京タワーの真下に静寂な境内を持つ、隠れたオアシスです。
ここは、臨済宗南禅寺派の寺院です。縁起によれば1619年(元和2年)に、南禅寺の僧侶である以心崇伝により開山された。以心崇伝は、徳川家康の政治顧問を務めており、そのため、江戸における臨済宗南禅寺派の拠点として、与えられたのが当院の由来。以心崇伝は、京都では南禅寺塔頭の金地院を居所としていたので、江戸での居所も「金地院」と称した。そのため、以心崇伝は別名「金地院崇伝」ともいう。当初、金地院は江戸城内に置かれていたが、以心崇伝の死後の1638年(寛永15年)に現在地に移転した。江戸時代の金地院は独立性が高く、現在でいうところの「臨済宗系単立寺院」であったが、明治になり、関係の深かった南禅寺に属することになった。1945年(昭和20年)の東京大空襲にて本堂が焼失し、1956年(昭和31年)に再建され、現在に至っている。との事です。因みに、道路を挟んで建っている東京タワーの敷地も、江戸時代は金地院の境内だったとの事です。
江戸三十三観音の札所。お参りの際に朱印帳をお願いすると中に入れていただける。
江戸三十三観音第二十八番札所。門前が東京タワーです。
江戸時代初期の1619年に創建された臨済宗南禅寺派の寺院。金地院とは京都南禅寺の子院の事で、以心崇伝が住職を務めていた事から、江戸においても金地院と呼ばれた。徳川家康の政治顧問として「黒衣の宰相」と呼ばれており、金地院崇伝としての通称の方が知られている。江戸時代には本山の南禅寺からの独立性が強く、現在で言う所の単利立寺院であったが、明治以降は南禅寺の子寺院となった。
東京都港区芝公園にある臨済宗南禅寺派、金地院の直書き御朱印を頂きに参拝。1619年(元和2年)に開山。以心崇伝は南禅寺の僧侶で徳川家康の政治顧問を務めていた。そのため、江戸における拠点として与えられたのが金地院の由来。以心崇伝は京都では南禅寺塔頭の金地院を居所としており、江戸での居所も「金地院」と称した。そのため、以心崇伝は別名「金地院崇伝」ともいう。そして上記の由来から江戸時代までは独立性が強く、宗派に属さぬ単立系寺院であったが、明治に入り、以心崇伝が南禅寺派であったことなど、関係の深かった南禅寺派に加わり現在に至る。江戸三十三観音、東京三十三観音霊場の札所で、お参りの場合はまず本堂向かって右手の寺務所の呼び鈴を押し、御朱印授与と参拝の旨を伝え、帳面を預けてから靴を脱いで玄関を上がり、そこから本堂内に入り参拝。そして玄関に戻って帳面を受け取り、納経代をお納めして出る形になります。目の前が東京タワーなので、その聳える様をまざまざ見られる、なかなか面白い所にお寺はあります。最寄りは赤羽橋駅か芝公園駅…だと思います。
東京の隠れたオアシス都内にはお寺が意外と多い。
家康のブレイン天海に比べ影が薄い金地院崇伝東京タワーすぐ下に本堂があります。
東京タワーの目の前で東京機械会館の隣です御朱印のみです江戸三十三ヶ所観音霊場第二十八番札所聖観世音菩薩です。
新撰組局長近藤勇の養父、近藤周助(周斎)のお墓があります。本当に東京タワーの麓にあります。近藤周助のお墓は立派で大きなものではありませんが、少し探したら見つかりました。また、南部家(盛岡、八戸、七戸)の墓所にもなっているようです。
名前 |
金地院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
03-3431-1026 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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御朱印をいただきに参拝しました。