江戸の歴史が息づく、伝馬町処刑場跡。
江戸伝馬町処刑場跡の碑の特徴
江戸伝馬町処刑場跡は歴史的に貴重な場所です。
ここには吉田松陰などの偉人が命を落とした石碑があります。
小伝馬町駅から徒歩ですぐのアクセスが便利な史跡です。
江戸伝馬町処刑場跡の碑ですが、塀にある石碑には、通り側からみると「江戸伝馬町処刑場跡」、境内側から見ると「百度石」とあります。処刑された方々の供養のお百度でしょうか・・・とにかくご冥福をお祈りするばかりです。ちなみに、境内の延命地蔵様のお膝元にある石碑は「江戸伝馬町処刑場跡」です。
お寺の傍に石碑あり。江戸時代の処刑場跡地とのこと。心なしか石碑が禍々しくも見えます。
処刑場は都内にも何箇所もありますよね。時代だな~打首獄門の世界だからな。
江戸時代の処刑場及び、当屋敷があったのがこの一角。大安楽寺 十思公園辺りがその場所にあたる。吉田松陰はここで処刑された。
大安楽寺の建つこの地には江戸伝馬町処刑場がありました。 大老井伊直弼による安政の大獄により、吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎等50人余が投獄され、その多くが処刑された場所です。
安政の大獄では、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等50余人が獄に下り、その後の処刑者もあわせると96名の勤王志士がここで命を落としたという。大安楽寺内に建っています。
吉田松陰先生や大勢の偉人が亡くなられた場所。
歴史に関しては以下引用江戸時代の刑法には現在の懲役や禁固に類する処罰が原則として存在せず伝馬町牢屋敷は現代における刑務所というより未決囚を収監し死刑囚を処断する拘置所に近い性質を持った施設である。所在地は日本橋小伝馬町一帯に設置され2618坪(約8639平方メートル)の広さがあった。常盤橋外に牢屋敷にあたる施設が設けられたのは天正年間。それが慶長年間に小伝馬町に移って来たようである。明治8年(1875年)に市ヶ谷監獄が設置されるまで使用された。周辺は煉塀で囲まれ、堀が巡らされており南西部に表門、北東部に不浄門が設けられていた。高野長英や吉田松陰らも収容されていた。
大昔、とても物騒な場所でしたΣ(゚д゚lll)
| 名前 |
江戸伝馬町処刑場跡の碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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東京メトロ・日比谷線 小伝馬町駅すぐ近くです。大安楽寺にあります。赤い字が印象的です。