人形町駅横、神々に見守られ。
正一位橘稲荷神社の特徴
人形町駅A4出入口すぐ横に位置する稲荷神社です。
倉稲魂大神が祀られた由緒ある神社となっています。
小規模ながらお掃除が行き届き、地域に愛されています。
人形町駅A4出入口すぐ横、ビル🏢の敷地すみに在る綺麗な神社でした。神社の裏側に素敵なコーヒー☕ショップが在ります。コーヒー☕は勿論旨いですが、サイドメニュー🍨🍮🧇🥯がイイです!旨いです!😋
人形町界隈は、至る所に神社があり、日々、神々に見守られてます。毎日、有難いです。こちらは、小さな神社でお稲荷さんが祀られてます。
人形町駅の改札から上がると、すぐに見つける事が出来ます。規模はかなり小さいですが、神社の作りはしっかりしてました。
当稲荷ははじめ御殿山にありましたが、のちに江戸城内へ移り、さらに玄冶に賜わって当地へ移されました。安政六年の尾張屋清七板古地図では現在地よりやや北側に記されています。特定の個人や企業の所有ではなく、町のお稲荷さんとして地元の方に親しまれているそうです。
ご祭神は倉稲魂大神。創建年は不明。この辺りには将軍家御典医 岡本玄冶の屋敷があり、その岡本氏が元々は橘姓だった為、このような名になったと言われている。
この辺り一帯は、将軍家御殿医岡本玄冶の邸があったことから、玄冶店(げんやだな)と俗称した。このお稲荷は、御殿山にあったものが、江戸城内に移り、さらに玄冶に賜って当地へ移された。このお稲荷名の橘は、岡本家の姓に因んで、家紋の橘とされています。
創建年代不詳。元は御殿山に鎮座していたが、江戸城内に移り、当地に遷座したという。老朽化の為、地元町民多数の浄財により再建された(平成に入ってからか?)。いつ来てもお供え物がある地元民から今も信仰され愛されている神社です。御朱印無。
ここにあった由緒では色々わからない。特に江戸城内から御典医の岡本玄冶が賜ってこの地域に遷座したようだが、姓に因んで橘稲荷ということだが岡本は?元の稲荷名は?運よく震災・戦災を免れたとあったが、再建された?という。神社はどこもと言ってしまえばそれまでだが此処の由緒は一段と分かりにくい。
このあたり江戸期に新和泉町といわれたが、将軍家御典医・岡本玄冶の邸があったことから、一帯を玄冶店と俗称した。当稲荷ははじめ御殿山にあったものが、のちに江戸城内へ移り、さらに玄冶に賜って当地へ移された。稲荷名の橘は岡本家の姓に因んだとされる。安政6年(1859)の尾張屋清七板古地図では、現在地よりやや北側に記されている。数百年に亘り、素朴な信仰の対象として土地の人々により守り継がれて来た。特定の個人や企業の所有ではなく、町のお稲荷さんとして親しまれている。大正以降、運よく震災・戦災を免れて来たが、老朽化の為このほど地元町民多数の浄財により再建された。
| 名前 |
正一位橘稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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とてもお掃除が行き届いていて、地域大切にされている神社様のご様子です。