人形町の新たなシンボル!
蛎殻銀座跡碑の特徴
お金にまつわる出来事が分かる説明看板が設置されている場所です。
大黒屋の起源について思いを馳せることができる歴史があります。
映像看板が人形町の新たなシンボルとして注目を集めています。
大黒屋って、ここから来たのでしょうか?勉強になります。蛎殻銀座跡案内文所在地中央区日本橋人形町一丁目五十一・十六(一部)・十七番地区江戸幕府の銀貨鋳造所として設立された「銀座」は、慶長十七年(一六一)に駿府(現在の静岡県葵区両替町)に置いた銀座を閉鎖して、その機能を江戸へと移しました。江戸の銀座は、京橋南の町屋敷が鋳造方の長・大黒常見吹所(鋳造所・役所)と座人の居宅としてあてられました。なお、常是の拝領屋敷は、新両替町二丁目(現在の銀座二丁目)にあり、当地において通用銀貨類の鋳造と検査が行われました。その後、寛政十二年(一八〇〇)に座人の粛清が行われて一時廃絶(江戸大黒家は断絶)の憂き目に遭いましたが、代わって京都銀座の大黒家が江戸に下り、幕府から播磨国姫路藩酒井家屋敷の上地(心大塚町\u003c現在の日本橋人形町一丁目4番・19番)の南)を拝領して銀座役所を再興しました。再興した銀座役所の敷地にあたる当該地は、古くから蛎殻町の俗称があったことから、この銀座は「蛎殻銀座」と呼ばれました。その後は、明治二年(一八六九)に明治政府の造幣局が新設されるまで約70年存続しました。令和二年三月中央区教育委員会。
説明文があるだけです。当時この付近の地名が蛎殻町だったため、この銀座は人々から「蛎殻銀座」と呼ばれたとのことです。
この映像看板の設置で人形町の新たなシンボルとなりますね!
銀座だったの!?びっくりでした。
その昔、委託事業であった銀座を、幕府直営にするべく一旦廃止し、立ち上げたのがこの地であったとあります。案内標識だけ、あります。
立て看板が1つあるだけです。
看板があるのみで、銀座の痕跡は感じられない。
| 名前 |
蛎殻銀座跡碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.4 |
| 住所 |
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お金にまつわる出来事が垣間見える説明看板でした。