歴史感じる高輪大木戸跡。
高輪大木戸跡の特徴
江戸時代の南の入口として存在した高輪大木戸跡です。
現在は堅固な石垣が残り歴史を感じさせます。
高輪ゲートウェイ駅近くの交通遺跡として訪れる価値があります。
1928年(昭和3年)2月7日、国の史跡に指定。江戸時代には武家屋敷と町屋敷の境にあって番所を併設した門を木戸といった。町ごとに木戸が存在。高輪は江戸の入り口であるため、大木戸と呼ばれる。第一京浜の線路側に石垣が残されています。幕末期に伊能忠敬は高輪大木戸を全国測量の基点としたとされる。伊能忠敬はなんと17年間の歳月を掛けて全国を歩き測量、日本地図を完成させた。高輪大木戸の海側では現在高輪ゲートウェイの開発工事中。現状の高輪大木戸は全くメンテナンスされておらず、雑草が生い茂り、木は倒れて荒地状態。メンテナンスしてほしいです。
現在では石垣の一部が残っているだけ。なのだが、四谷と板橋は何も残存していないので貴重な史跡となっている。また、説明書きにはないが伊能忠敬が全国の測量をする際にこの地を基点としたとされている。
頭スレスレの高架下を歩く事が出来ます。以前は車も通れましたが今は歩行者と自転車のみとなっています。
高輪大木戸跡は国道15号の泉岳寺交差点近くにある交通遺跡です。「木戸」とは城塞や庭園,住居などの出入口のことで、屋根がなく,開き戸のある木の門のことをいうそうです。「木戸銭」という言葉がありますが、通るための「料金」ということなのですね。ここは「跡」なので、知らないと「何だこれは?」で通過してしまうかもしれません。高輪ゲートウェイ駅から歩いてもすぐです。
江戸時代中期の1724年に築かれたと言われる、旧東海道にあった江戸の南の入口の木戸跡です。江戸時代後期には木戸は廃止され、現在は石垣のみが残っています。
山手線ウォーキングで高輪ゲートウェイ駅近くで見つけました。
#2021/5/16その昔、大木戸という江戸の内外を区切る簡易な関所がありました。そのうちの一つがここ、高輪大木戸です。今は少しの石垣しか残っていませんが、江戸を感じることができる遺産の一つです。近くに高輪ゲートウェイとかいうモノレールっぽい名前の駅が山手線にできてしまいましたが、高輪大木戸という名前が良かったな、と思います。
高輪ゲートウェイの名前の由来となった高輪大木戸。四谷四丁目にある四谷大木戸と並び、かつては江戸周縁部の関所として警備の役割を果たしていた場所。高輪は東海道からの入口。四谷は甲州街道からの入口。いずれもその昔は多くの人や物の流通で栄えた場所だったそうです。今も昔も人の流れはさほど変わらないものですね。こうした場所に触れるたび先人の息遣いをそばに感じるようで嬉しく思います。
大きな道路沿いにひっそりこんもり残った史跡。往時の様子を想像するのは簡単ではないですが、立派で整った石垣を見るだけでも価値があると思います。
| 名前 |
高輪大木戸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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宝永7年(1710年)東海道からの入口として設けられた大木戸の跡になります。江戸当時は品川宿に至る海岸の景色もよく見えたそうです。東側はすぐに砂浜の渚だったんでしょうね。国の史跡名勝天然記念物にも指定されているそうです。大きな土塁が当時を彷彿させますね♪