八芳園横の小さな古地老稲荷。
古地老稲荷神社の特徴
八芳園の入口左側にある、歴史ある古地老稲荷神社です。
狭い境内に並ぶ朱塗り鳥居が印象的な神社です。
都会の中にひっそりと鎮座する、可愛らしい稲荷神社です。
元は小女郎稲荷といい、これが転じて古地老稲荷となったという。また、里人に「人丸様」と俗称された様である。「人丸」とは、歌人柿本人麻呂の「人麻呂(ヒトマロ、ヒトマル)」のことである。元は学問の神として信仰されていたが、「ヒトマル」と「火止まる」の発音が同じことから転じて、火防の神としても信仰される様になった。ただ、当地では柿本人麻呂を祀るわけではなく、単にウカノミタマを「人丸様」と呼んでいるに過ぎない。創建年月日は、少なくとも、文政十三年にまで遡り、日吉坂上に祀られていたが、大正四年六月に現在地への遷座が行われた様である。鎧を付けた神像があるというが、現存するかは不明。境内には、力石や手水鉢が見られる。
小さな細長い稲荷神社ですがおもむきがあり一度おまいりしてみては如何でしょうか。
八芳園入口の左側に鎮座される古地老稲荷神社(こじろういなりじんんじゃ)ですが、長らく此処に神社が在ることを知りませんでした(汗)すごく狭い境内地ながら、玉垣に囲まれた境内に社号碑、石鳥居、複数の朱塗り鳥居が並び、その先に瓦葺木造の社があります。配置は変則的ではありすが、石灯篭や狛狐が朱塗鳥居の脇に置かれるなど、整備・清掃が行き届いています。八芳園が何らかのサポートをしているのではないでしょうか?ちなみに、古地老稲荷神社は文政12年(1829)に勧請された神社で、火伏せのご利益が顕著。関東大震災や東京大空襲での被災を免れたとのことです。
八芳園の入口の左側に建っています。お狐さまの赤い前掛けと鳥居が印象的です。
八芳園入口の左側に鎮座される古地老稲荷神社(こじろういなりじんんじゃ)、狭いながらも玉垣に囲まれた境内に社号碑、石鳥居、複数の朱塗り鳥居が並び、その先に瓦葺木造の社があります。石灯篭や狛狐が朱塗鳥居の脇に置かれるなど、配置が多少変則的ですが、整備・清掃が行き届き、清々しさが感じられます。古地老稲荷神社は文政12年(1829)に勧請された神社で、火伏せのご利益が顕著。関東大震災や東京大空襲での被災を免れたとのことです。
八芳園の入口、左手にあります。鳥居がとても低いので、頭をぶつけないように気をつけてください。蛇口タイプの手水が、鳥居を抜けて右手にあります。小さな神社ですが、佇まいが美しいです。ここで人々の幸せを見守ってきたのだなと思うと、なんだか心温かくなります。
桑原坂、八芳園横にある小さな稲荷神社です。とても低い鳥居があり、それを抜けて参拝します。神主さんや宮司さんはいないので御朱印はないと思います。
コロナ禍で遠出が出来なくなったので、週末はもっぱら近所の散歩に出掛けていたところ見つけた可愛らしい稲荷神社です。八芳園の立派な庭園の裏にあり、うっかり見過ごしてしまいそうな場所ですが、中に入ると赤い鳥居と新緑のコントラストがとても美しく素敵な佇まいです。
こじんまりとしていますが、静かでいい神社さんです。火事から守ってくださる神様とのことです。
| 名前 |
古地老稲荷神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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神社の歴史としては明和9年(1772年)、目黒行人坂の大円寺の火災によって、近所の人々の不安を取り除くために、文政12年(1829年)、古地郎稲荷が日吉坂上に置かれたそうです。このお稲荷様が、関東大震災でも周辺を燃やすことなく食い止めたということで、「火伏せ稲荷さま」として祀られているそうです。八芳園の傍にあるので、てっきり関連ある神社と思っていました♪