南砂2丁目で大砲探訪!
長州藩大砲鋳造場跡碑の特徴
江東区南砂で長州藩の大砲鋳造の歴史を感じられる場所です。
春には美しい桜並木が楽しめる遊歩道が魅力的です。
ミニチュアの大砲や説明板があるので、散策にもぴったりです。
長州藩は幕末に、現在の江東区にあった藩邸で佐久間象山の指導を受け大砲を鋳造していました。跡地の南砂緑道公園にあるモニュメントは、実物の大砲をモデルとして制作されたブロンズ製のものです。
期待するほどのものでは無かった。
見つけにくいですが、いいですよ❗
大砲目的ではなく、お散歩でのんびり遊歩道を楽しみましょう。
南砂2丁目団地緑道公園に長州藩の大砲があるのには驚きました!ここは数え切れないくらい通っていたのに気がつきませんでした歴史的なものもなのでもっとアピールしてもいい感じですね。
ミニチュアの大砲と説明板があります。<大砲の説明>大砲に碑文が刻まれており、下のようにありました。長州藩大砲鋳造場跡 パリのアンヴァリッド(廃兵院)に、長州藩主毛利家の紋章がある青銅の大砲が保存されています。この大砲には、次のように刻まれています。十八封度(ポンド)砲 嘉永七歳次甲寅季春(かえいしちさいじこういんきしゅん)於江都葛飾墅(こうとうかつしかべっしょにおいてこれをちゅうす)<長州藩大砲鋳造場跡>説明板があり、下のように書かれてます。「江戸切絵図」を見ると、現在の南砂2-3付近に長州藩主松平大膳大夫の屋敷があったことがわかります。「葛飾別墅」とは、この屋敷をさしています。 長州藩では、嘉永六年(1853)十二月、三浦半島の砲台に備えつける大砲を鋳造するため、鋳砲家を江戸へ呼び寄せました。翌嘉永七年(安政元年(1854))正月、幕府の許可を得て、佐久間象山の指導のもと、砂村の屋敷内で大砲の鋳造を始めました。 当時、尊皇攘夷の急先鋒だった長州藩は、この大砲を三浦半島から下関に移し砲撃により関門海峡を封鎖しました。これに対し、元治元年(1864)イギリス・アメリカ・フランス・オランダの連合艦隊が下関の砲台を攻撃、陥落させました。パリの青銅砲はこの時、フランス軍により海を渡ったものです。
団地の谷間にひっそり旧所名跡があります。
緑道、西友・いきいきへの開けた途中にあります。西小学校の目の前です。
春は桜並木がgoodです。
| 名前 |
長州藩大砲鋳造場跡碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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公園までいかない遊歩道、