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名前 |
宇津志城址 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
「宇津志城」は、南北朝時代、南朝方の新田義貞の命により、重臣の堀口貞義・貞満父子らが築城したと伝えられています。宇津志城は、根尾谷の中央部に位置しており、根尾川が蛇行して三方から囲む要害の地に築城されました。根尾谷は、越前への出入口であるため戦略的価値として重要視されており、宇津志城を中心に高尾城・板所城・長嶺城といった支城が築かれました。根尾谷全体が、一大要塞として機能していたと考えられています。金原城址には、「根尾から越前に通じる要地で城主堀口美濃守貞満はここを砦として宇津志(根尾村)に城を移した。延元2年(1337年)土岐氏の武将、鷲見忠保との古戦場である。」と刻された石碑が建立されています。興国2年(1341年)北朝側の美濃国守護・土岐頼遠が根尾谷を攻撃します。宇津志城は、根尾城の支城として奮闘しましたが、圧倒的な兵力の前に落城しそのまま廃城となりました。現在、城址には明確な遺構はほとんど残っていませんが、人工的に平坦にされた場所や土塁の痕跡がわずかに確認されています。明治24年(1891年)に発生した根尾地震により、城山の一部が尾根ごと根尾川へ崩落しました。今も崩れ落ちた場所が残り、震災の爪痕が大きく残されています。武将たちが夢と希望を託した城跡が、自然の猛威によってかき消されていく様子はとても切ないです。また厳しい戦いの様子を想像すると胸が締め付けられる思いです。700年という長い時を経てもなお、武将たちが命をかけて守ろうとした根尾谷の地に立ち、その歴史に思いを馳せる方が多くいらっしゃいます。歴史を未来へと語り継いでいくことで、武将たちの思いが少しでも報われますようにと願っています。※城山へ登る際は、細尾根や崩落など危険な箇所がありますので、十分にご注意下さい。