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名前 |
見通し桜 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
見通し桜は、江戸時代、天竜川の川筋における狐島村と、対岸である荒井村・西町村の村境を定める測定基点の一つとして在置されました。現在の天竜川は、昭和45年(1970)右岸の堤防上を通過する国道153号線の完成と、左岸堤防上を走る補助道路の一貫堤防の完成により定着したのもです。それまでの天竜川は、”あばれ天竜”の名のとおり、洪水のたびに本流は蛇行し、江戸時代の約270年の間に、90回ほども洪水や満水を繰り返しております。当時の狐島村の絵図面を見ると、現在、天竜川の河床にあたる部分にも、数多くの水田が描かれています。明治初期以前、天竜川の本流は今より西側を流れていたと思われます。延享元年(1744)の大洪水は、それまで荒井村との協会であった桜島を流失させました。これを機会に、狐島村と荒井村・西町村の境界の絵図が作成され、これが以後天竜川の川筋における村界争いの判断の基本となりました。その中には狐島村の基点が古町村(中央区)界の儀右門社塚から、南(下流)の下新田界の冷田井と道との四ツ辻までに、八ヶ所記されております。見通し桜はその中の一つ、長右衛門社本桜として記されており、ほかは、洪水や、竜東土地改良事業等により消滅してしまいました。一方、対岸基点は。荒井村に2ヵ所、西町に3ヶ所しるされています。しかし、見通し桜の対岸の目標については、伊那部宿の北(鍵の手)にある伯先桜と言われていますが定かではありません。