清々しい気持ちに、下諏訪神社へ。
諏訪神社の特徴
建御名方命を祀る、歴史ある神社が魅力です。
境内は手入れが行き届き、清々しい空気が漂っています。
武田信玄との戦いに由来する祭りが地域の魅力を深めています。
武田信玄との戦で有名な、村上義清により上・下諏訪神社が勧請されたわけであるが、上・下共に下諏訪神社のある諏訪の腰にあったと考えられている。その後、上諏訪神社だけが、「大坪」のこの地へ遷座したものと考えられている。祭は諏訪神社とおなじ9月15日であったが、1986年当時は10月15日と変更となっている。❶【参考 千葉市南部の歴史 1986年】諏訪神社大永元年(1521年)信濃国埴科郡坂木の城主 村上義清が上総国市原郡養老庄の領主となり生国の信州鎮座の上・下諏訪神社を勧請ようとして家臣を遣わした。【市原市五井 品野家に伝わる諏訪)神社縁起】天文元年(1532年) 本社神主の弟をつれてきて、信濃関(しなのぜき)と改名させ、代々神社につかえさせたという。元禄13年(1700年)日置重好 石鳥居 を奉納する延享4年(1747年)3月 社殿新造遷宮する。寛政2年(1790年)天保11年(1840年)本殿拝殿修造などの記録が残る。明治16年(1883年)8月 境内は古松が高く生えていたが、社殿に近い老松に落雷して、火事になり社殿および松を焼いてしまったという。しかし内宮は免れたという。明治16年(1883年)10月 再建する。明治24年(1891年)石鳥居を新造する。諏訪大明神の扁額をかける。大正12年(1923年)9月1日 関東大震災に被災大正15年(1926年)10月 社殿修築する昭和8年(1933年) 拝殿瓦葺にする。本殿を神殿造に新造する。敷石、灯篭の奉納があり、現在の神社の景観となる。[鎮座地] 浜野町445番地[祭神] 建御名方命(たけみなかたのみこと・諏訪大社の神・武の神)[例祭日] 9月15日でああったが、現在は10月15日である。(1986年現在)[境内神社] 白山社 稲荷社 (明治12年神明牒)__〇白山神社___歯痛をなおすといわれ、願主は歯ブラシを奉納する。___宝永2年(1705年)並木助衛門により木像の神像が造立された。___[祭神] いざなみのみこと__〇疱瘡神___疫病を治し、鳥獣の災いをなくし、穀物の豊穣を司る神とされている。又、区之能神(くしのがみ)と称し、造酒を司る神ともいわれる。___[祭神] すくなひこのかみ__〇古峰神社___明治時代に祀られる。___[祭神] ヤマトタケルのみこと。
こちらに行くと、清々しい気持ちになります。たまに行きたくなります。
この神社の祭神は建御名方命です。上総国市原郡養老庄(現市原市) の領主であった村上周防守義清は、大永元年(1521) に信濃国にある諏訪神社の神様を領内にお迎えしてお祀りするため重臣を遣わしました。重臣は神鏡などの宝物を受け取り、帰途に浜村(現浜野町) に宿泊しました。この神社は、村人がこれを縁として、当地にも諏訪の神を祀ったことに起源するといわれています。創建時の社殿の記録は残っていませんが、宝暦5年(1755) の「浜野村地先澪絵図」には諏訪大明神として描かれており、当時の様子がうかがわれます。【現地案内板より抜粋】大六天神社を抜けると、すぐに「諏訪神社」の看板が。細い路地を抜けた先に、お社が見えてきます。さほど境内は広くありませんが、社殿は勿論、社務所なども立派です。稲荷社もあります。
特に変わった様子はないですね。
質素、素朴な神社です。
第六天神社の参道入口とほぼ向かい合っています。諏訪神社の参道も昔を感じさせてくれる幅です。境内は、手入れされていて綺麗です。お稲荷さんもあります。秋の祭りは、盛大に行われるようです。歌手も呼んで大勢の方が参加されるようです。
境内はいつもきれいに掃き清められています。
| 名前 |
諏訪神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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何度かお参りに伺っています。小さいながら綺麗で落ち着く空間です。御朱印があるとよいなと思います。いつもありがとうございます。