高萩宿の歴史を感じるひととき。
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名前 |
清水喜右衛門と金毘羅大権現 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
3.0 |
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宿場町としての高萩宿の由来について。相当詳しく書かれていました。どうやら、江戸時代の参勤交代制で八王子市の「千人同心」が東照宮の警備についていたようで必ずここを通ったようですが、大名などの泊まる本陣や脇本陣はなく、旅人専用の旅館が数件だけの小さな高萩宿のようです。東側の407号バイパスができるまでは、熊谷市から八王子市の通り道でJR川越線の橋桁をくぐるといつも昔の面影の残る風景でした。明治時代になり、宿場町としての役目を終えた高萩宿は、川越と飯能市の中間にあたり、郵便屋さんの中継地点になります。当碑文から北側に50mほどのところに旧日高郵便局(高萩郵便局)がSECOM付きで保存されています。この街並みを見るといかにも小さな宿場町のはずれという趣が見て取れます。先程の八王子市の「千人同心」たちも当宿場で馬に水を与え、荷物を熊谷宿や狭山宿に運ばされる仕事をしていたようです。小さな宿場町のことで人手不足などで、地元の清水喜右衛門さんたちが熊谷宿や狭山宿に出向き荷役のご赦免を申し出ているそうですので、地元の世話役と言うか、英雄なのでこのような碑文が建立されたのでしょう。現在はガードレールに囲まれ改めて碑文を読む場所もありませんが、JR川越線の土手下に短時間止めて、なんとか碑文と写真を撮ることができました。県道などで車を停めると渋滞しますので、街並みを見るといかにも宿場町としての高萩が見える場所に止めてくださいね。決して川越宿のような観光地ではありませんが、このような名もなき小さな宿場町の連面により成り立つ鎌倉時代・江戸時代への思いを馳せることのできる碑文です。