要害山館の歴史に触れる。
地元では「要害山館」と呼ばれる舌状台地の城跡です。進入路は大森工業南側の、崖側のガードレールの切れ目があり、そこから台地下に下りる道があります。その途中から丘陵側にアプローチすると辿り着けます。今回訪れて驚いたのは、事前情報で『龍ヶ崎市史』(1982、1998)では、舌状台地構えの城ではよくある台地続きの堀切が「無い」とされてましたが、明らかに堀切が「ある」のです。台地続き側に建てられた建物の裏手から深く掘り込み、堀底は南側腰郭と同じレベルまで掘り込まれ、腰郭から直接アプローチできるようになっています。北側は倒木なのでどこまで伸びているかわかりませんでしたが、結構な規模です。台地先には『龍ヶ崎市史』に示された土塁もありましたので、場所は間違っていません。さすがに『龍ヶ崎市史』がこれを見落とすとは思えないので、後世の開削の可能性も捨てきれませんが、それなりに植物も密生していて、そういった跡も見受けられなかったので、真偽のほどは不明です。
名前 |
要害山城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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評価 |
4.5 |
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江戸崎土岐氏に関連するであろう館群の一つ。実は龍ケ崎市のウォーキングコースの長戸地区コースに入っているので長峰城から大日山城まで歩いてみました。私は下の田んぼに並ぶソーラーシステムを抜けて下から直登しましたが、田んぼの脇道から上の大森工業様前に上がる道がありました…広い郭に上がりましたが微藪で山林化しており、田んぼに上がる道の崖下に空堀らしき堀跡(これは台地から水を逃がす為の後世の土木跡)、また台地を断ち切る様に切られた堀切の様な遺構も見られましたが後年の宅地整備による排水路かもしれません。要害というだけあり江戸崎城、龍ケ崎城の中間に位置し、対岸の長峰城に「また不死鳥攻めてきやがった!」等の合図をしていた等の妄想をするのも楽しい位置ですね♪