藤原鎌足の故郷、鹿嶋の神社。
下生鎌足神社の特徴
藤原鎌足の生誕地とされ、歴史の深い神社です。
鹿島神宮から約1キロの立地に位置しています。
御祭神には藤原鎌足や藤原道真が祀られています。
大化の改新の中心人物であり後の藤原氏の祖となった中臣鎌足の生誕地と言われているそうです。何故にここで鎌足が?と思いつつ、藤原氏の氏神が鹿島神宮で、そこから勧請して奈良の春日大社を息子の不比等が創建したということもあり、藤原氏とここ鹿島の地は深い因縁があり、そういう意味では鎌足がここで生まれたというのもあながち不思議ではないのかもしれません。藤原鎌足生誕地という割にはひっそりとしていて、小さい神社ではありますがその分静謐で清らかな神社です。周辺は住宅街で道路も狭く駐車場もありませんので訪問される際には留意が必要です。
参政党の講演会で茂木誠先生から教えていただきました。鹿島神宮には数回参拝してましたが、藤原鎌足の生誕地が近くにあることは知りませんでした。生誕地なので境内は広くないのですが雰囲気はいいです。駐車場はありません。
茨城県鹿嶋市下生にある神社。その名の通り、大化の改新での立役者となった中臣鎌足(藤原鎌足)の出生地とされる場所に立つ神社です。創建年代は不詳ながら、文書によれば古くは江戸時代から「鎌足社」の記述があることから、昔から中臣鎌足生誕の地という伝承があるようです。そもそも中臣鎌足自身が謎の多い人物とされますが、出生地として有力なのはここと奈良県橿原市の2箇所と言われています。境内はシンプルな造りで、真っ直ぐな参道を歩いた奥に社殿が鎮座します。藤原氏の祖であり、その功績の割にはかなりこじんまりとして見えます。小規模なお社のため境内にはおみくじ、御朱印は無し。トイレは見当たりませんでした。情報は2023年3月時点。
【当社】は、古代最大氏族藤原氏の始祖である中臣鎌足、藤原鎌足の生誕地であるとの言い伝えのある社である。【所在地】は、茨城県鹿嶋市宮中3354(〒314-0031)である。町名が宮中で鹿島神宮と同じである。やはり神宮との繋がりの濃さを感じる。【下生】(シモノウ)が冠されているが、これは小字から来ているようだ。ここで気になるのが、「大生神社」(潮来市814(〒311-2402))である。祭神は、健御雷之男神 (タケミカヅチノオガミ)。表記は異なるが、鹿島神宮祭神(武甕槌命)に同じ。同宮の物忌が執り行う祭礼は指折り数える程度あるがこの一つが当社祭礼であり唯一である。これらを総合すると、藤原氏は古代氏族多氏の末裔とも見られているが、うなずけることでもある。【父】の名は、中臣御食子(ミケコ)であり、鹿島神宮の神官とのこと。【鎌足】は、稲刈りの季節に生まれたので、鎌子と名付けられた。彼がニ歳になった頃に母親の夢に白狐が現れて、彼が将来国のために尽くす人材となる旨を告げて「鎌」を授けられた。【御神体】は、「鎌」で木箱に収められているようだ。【創建】は、未確認である。【御祭神】は、藤原鎌足、菅原道真及び宇迦之魂命の三柱である。【御朱印】は、未確認である。【接道】は、西の一之鳥居から鹿島神宮に向かい、宮中通り(国道51号線旧道)との交差点を斜めに横切ると左手に当社の鳥居が見えてくる。【駐車場】は、未整備なので、駐車スペースを見付けて路肩等に交通に支障が生じないように配慮して駐車する。神社の先に「下生区集会所」があるので、ここを借用するのも方便かもしれない。【トイレ】は、未整備なので、ここに来る前にコンビニ等で用を済ませて来るのがベストである。
藤原鎌足の生誕地との伝承がある地です。藤原家の氏神である鹿島神宮の近くなので、ありうる話なのかもしれないです。
藤原鎌足だけでなく、他にも、菅原道真や宇賀神の名前もありますね。まさに、「知恵の神様」である、「エンキ」の神社です。小さな祠があります。この祠の下を覗くと、なんと、「蛇」がいます。やはり、「爬虫類の神様グループ」でした。
まさか藤原鎌足が東国で生まれたとは知らなんだーって一説によるとやけどだけど鹿島神宮のすぐ傍らでってまんざらウソでもなさそうそれにしては栄華を極めた藤原氏の祖である鎌足の出生地跡の神社にしてはこぢんまりしてるような…はてさて真実はいかに。
鎌足神社は鹿島神宮の西側にあります。鎌足の誕生地は一般的に、奈良県と伝わりますが…鹿島が誕生地との言い伝えも多く残っているそうです。鎌足の父・中臣御食子は鹿島神宮に仕える神官でした。御食子は、妻といっしょに帰郷し鹿島で鎌足が生まれたそうです。鎌足が二歳になった頃お母さんの夢に白狐があらわれ【この子は、将来国のために立派な仕事をする人です…しっかり育てなさい…】と伝え鎌を授けました。夫婦は白狐のお告げを信じ都で学問をさせてあげたいと考え…後に鹿島をあとにして再び都へ向かったそうです。白狐が授けた鎌は神社の御神体として保存されているそうです。鎌足の系譜をさかのぼると鹿島周辺の地名のあるお名前の方もいるので鹿島誕生説もありかな…。それから…鎌足の【足】って字が個人的に気になっていてまだ調べている途中なんだけど…古代は【足】【根子】の字がお名前に入る方や神社の祭神になった方々は【高句麗国】直系と言われてるみたい。鎌足出自説で知られているのは古代高句麗国を建国するときに協力した、百済王族で…高句麗建国後に分かれて南下してできたのが百済国。この百済王族が鎌足と深い関わりがあるとゆう説です。藤原とゆう地名や姓は朝鮮半島南部(昌寧伽耶)の【比自火】ヒジボル=【藤原】フジバルで天皇が伽耶の地名を鎌足に下賜したとゆう説。もあるんですって。この神社は中臣御食子の屋敷があった場所と伝わります。創建年は不明。祭神は【藤原鎌足】【菅原道真】【宇賀御魂命】です。●古墳の写真は韓国【昌寧郡】に残っている古墳群です。
鹿島神宮から1キロ位の所にあります。とても小さな神社でした。何故、関東の端の地に鎌足を奉った神社があるのか不思議ですね。(鎌足はこのちで生まれた伝承があるそうです。)アマテラスより古い神様を奉った鹿島神宮、大化の改新をなした鎌足。鹿嶋は歴史的にもとても面白いところです。
| 名前 |
下生鎌足神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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藤原鎌足が誕生したとされる場所に建立された神社。コンパクトな神社ですが、歴史のある神社のようです。鹿島神宮に参拝した後にここにも参拝しました。