隠れた歴史、干沢城の魅力。
干沢城跡の特徴
諏訪大社上社前宮の隣に位置し、散歩に最適な場所です。
残る山城としての体裁が整えている干沢城跡は歴史的意義があります。
道が分かりづらく、通の人しか訪れない静かな史跡です。
諏訪大社上社前宮をお参りした後に看板を見つけ行きました。登り口までは10分程度、登り口から15分程度で本丸に着きます。途中台湾リスに出会いました。木々で眺望は望めませんが各郭、曲輪が段々で残っており、山城としてはかなり良いのでは無いでしょうか。
諏訪大社上社前宮の隣なので、散歩コースにはイイと思います。また各郭も残っているので、イイと思います。ただ、コースが若干分り辛いです。
干沢城は諏訪大祝家の居城であり今に残る山城としての体裁が整えられたのは康正2年(1456)に大祝家の居城となった時代とされる。文明15年(1483)に大祝継満が諏訪惣領家の乗っ取りを企てた上社内訌のときに干沢城は戦場となり、天文11年(1542)には武田信玄と高遠頼継の連合軍と諏訪頼重がこの地で争った。諏訪氏滅亡した後の領地に不服を唱えた高遠頼継は諏訪を掌握するために兵を出し干沢城下の安国寺門前で武田軍と戦い敗れている。安国寺前には古戦場の案内板があった。武田氏が諏訪を掌握した後、干沢城は歴史に登場しなくなるが、伊那へ通じる杖突峠を抑えるため存続していたと思う。城跡はとても良い状態で遺構が残る。耕作地になった都合で土塁はほとんど失われているが堀切と竪堀は今もはっきりと確認できる。主要な郭の配置が縦一列なので歩きやすいし冬場なので下草も枯れて身動きが取りやすかった。二の郭には投石用の礫石がうず高く積まれている。干沢城が廃城となった瞬間から今に至っているわけだがとても興味深いものだった。
標高849m、比高約78m、茅野市史跡。城域が南北550mあるらしくってデカイ。北側の荒神天神から直登した。四つん這い登りに笹ヤブかき分けて進むアドベンチャーになったヘ(゜ο°;)ノいつまで段々が続くんだと思ったら堀切にたどり着いた♪ケド、またまた段々曲輪だった..(((((((・・;)鉄塔過ぎるとやっと主郭に着いた。縄張図付き説明板があった♪眺めは木々にさえぎられてビミョーρ(・・、)歩きまわるとトゲヤブあるある(*ToT)草を見分けながら進むのが見慣れないとむずかしい奥の長林砦は埋まった堀切があった♪帰りは鎌倉古道を歩いて帰ったら楽チンだったっってスグ横まで車で行けるジャンΣ( ̄皿 ̄;;数えきれん段段々々曲輪(もしくは畑)が特徴で 隅々まで見るとスンゴイ時間がかかる城跡だったよん(; ̄ー ̄A
道が分かりづらく、ほとんど人が通らない、通の人しかわからない山城跡。
| 名前 |
干沢城跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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遺構はいまいちかな。諏訪大社の近くだが、場所が分かりにくく右往左往した。時期も悪かったのか、草が伸びていて足元も悪かった。