諏訪氏の哀愁漂う上原城。
上原城跡の特徴
上原城跡は標高978mの金比羅山に位置し、壮大な景観が楽しめます。
地元の方々の諏訪氏への哀愁を感じられる特別な場所です。
歴史的な背景を持つ上原城は、諏訪氏の本拠地として知られています。
2018/8/10この城跡には地元の方々の諏訪氏への哀愁のようなものを感じられる。堀や土塁が遺っており、きれいに整備されている。
諏訪氏の本拠。諏訪義重はここを武田晴信に攻められ桑原城に退却している。城址のすぐそばまで林道が伸びており車の方はラクラク、歩きの人は林道途中にある諏訪氏館跡から登っていける。主郭および物見岩のある2郭、主郭背後に深く大きな堀切がある。余談ながら城址案内標識にあった絵(最後の写真)、シンプルながら非常によく特徴を捉えてて誰が見ても晴信に見える!ダルマじゃないよね、やっぱ晴信だw
名前 |
上原城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
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上原城は標高978mの金比羅山上に主郭を置いている。麓からの比高は180m程度だが、現在は車で城址すぐそばまで登ることができ、駐車場も設置されている。上原城は規模は大きくないが、綺麗に整備されている。山腹の居館跡(板垣平)と山上の城址部分から構成されている。山上部は山頂の主郭とその先のニ郭、三郭、主郭から大堀切を隔てた出郭という縄張りである。主郭と出郭を隔てた大堀切が見どころである。また三郭からの眺望はとても良い。上原城は諏訪氏の本拠であった。諏訪氏は鎌倉時代から諏訪大社上社の大祝(おおほうり)と呼ばれる神官のトップを世襲する事実上の領主であった。戦国時代前期に諏訪大社下社の大祝であった金刺氏を滅ぼし諏訪地方を統一したが、1542年に武田氏が諏訪地方に侵攻し、諏訪氏は一時滅亡した。武田氏は上原城に諏訪郡代を設置した。その後、武田氏は高島城を築城し、政治的拠点は高島城へと移った。