明覚駅からの隠れた供養塔。
慈光寺山門跡の青石塔婆の特徴
梵字が印象的な青石塔婆が立ち並ぶ、神秘的な空間です。
車での訪問はカーブが続き、見逃しやすいロケーションにあります。
供養塔として使われる板碑があり、歴史的な文化を感じられます。
大小9基の青石塔婆が他の石塔等と共に立ち並んでいます。特に坂の下手側の5基が立ち並ぶ様は圧巻です。板石塔婆に限らない、ときがわ町を代表する史跡の1つだと思います。
明覚駅から徒歩で60分くらい慈光寺へ向かう途中にあります車だとカーブが続くので見逃しやすいかと、また都機山のハイキングコースからも外れているので穴場的かと通りの対面に七井の山道入り口があります。
板碑(いたび)は、主に供養塔として使われる石碑です。武蔵型板碑は、秩父産の緑色片岩を加工して造られるため、青石塔婆とも呼ばれています。鎌倉時代から室町時代前期に盛んに作られました。鎌倉武士の信仰に強く関連しています。2基の板碑左から1327年、1355年に造立されたものです。1基板碑1284年に造立されたものです。5基板碑左から1365年、1324年、1324年、1307年、1464年に造立されたものです。慈光寺は、天台宗のお寺です。興福寺(法相宗)の僧慈訓が天武天皇2年(673)観音堂を建立、その後鑑真和上の弟子釈道忠が開山したといいます。治承年間(1177-1181)には源頼朝の祈願所となり釈迦堂の寄進を受けるなど、鎌倉時代には隆盛を極め、75坊を擁し、天台別院と称していました。徳川家康が関東入国した翌年の天正19年(1591)寺領100石の御朱印状を受領、江戸期には29坊を擁していました。昭和60年に釈迦堂・釈迦如来坐像、仁王像、蔵王堂・蔵王権現立像、鐘楼を焼失してしまいました。
| 名前 |
慈光寺山門跡の青石塔婆 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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梵字が印象的な石碑です。鎌倉〜室町時代にお寺ゆかりの僧侶の霊などを供養する為に造立されたそうです。明治の初期に山中のあちこちにあった僧坊跡からこちらの慈光寺山門跡にまとめて移設されたそうです。