坂上田村麻呂が愛した粥の峠。
粥仁田峠の特徴
粥仁田峠は坂上田村麻呂が訪れた歴史的な場所です。
江戸時代から重要な位置を占めている峠です。
大霧山の北側の登山口として親しまれています。
ここから二本木峠までは舗装された道。あづま屋がある。2024/3/11
粥仁田峠は江戸時代には、秩父に入る重要な峠でした。今は越える車は少ないですが、大霧山への登山の起点となります。峠に駐車場はありませんが、ちょっとだけ車を停められます。
標高540mほど東秩父村と皆野町を結び、現在は主に大霧山の北側の登山口になっている古くからの峠。現地の看板には…粥仁田峠江戸時代(1825年頃)につくられた地誌「新編武蔵風土記稿」には、秩父から江戸へ出る道 が3筋記されています。1つはここ粥仁田峠を越え川越へ通じる川越通りで、他は釜伏峠越えの中山道通り (熊谷みち)、正丸峠越えで飯能へ通じる吾野 (我野) 通りです。 今はさびしいこの峠道も、かつては重要な峠で、大宮郷(現在の秩父市) の市日には何百頭もの荷駄が行きかったとのことです。関東ふれあいの道環境庁 埼玉県大霧山へのアクセスとしては、頂上まで健脚で30分程度だと思うが、頂上に至るまでほとんど眺望がとれないので、個人的には定峰峠側の方が好み。
大霧山登山口にあるかつて栄えた峠。看板と東屋があり、本当にそれだけ。ここまでは車で来られるが、止めておける場所はないので注意。
大霧山には粥仁田峠から行けるとの情報を得てGoogleマップのナビゲーションで向かったのですが、首都圏自然歩道休憩地で通行止めされていて、粥仁田峠へは行けませんでした。他の道もある様ですが、八幡神社の道からは行けるのでしょうか?
名前 |
粥仁田峠 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.4 |
周辺のオススメ

粥仁田峠は平安初期、征夷大将軍となった坂上田村麻呂がまだ武将のころ、京から蝦夷を征伐しに行く途中、この峠でお粥を食べたことから、名がついたと伝えられているそうです。峠自体は眺望はなく、大霧山の登山口といった方が良いです。車は道路沿いに数台止められるくらいですね。秩父方面に下る途中に謎の建物があったが昔に牧場で使用していたものだろうか。