竹原城北の神、倉稲魂命お守り!
竹原城の北の鎮守。元は竹原小学校の北にあったのを昭和40年後半くらいに移設したということ。戦国時代は大掾氏の主要な拠点の神社で、江戸時代は石岡藩の主要な宿場町として庇護を受けていたためとても栄えたというが、現在は狭い敷地に木が密集していて一見幽霊でも出てきそうな雰囲気はある。また、下野(今の栃木県)に左遷された弓削道鏡を祀るお堂もこの地に併せて移設。この辺に弓削砦があったといわれており弓削氏の居館じゃないかと思うが、たしかに地形はそんな雰囲気がある。道鏡伝説は全国の弓削の地に多く残るので、道鏡が実際に竹原にいたとは言い難いが、宿場で働く娼婦の守り神として地域に愛されたということ。国道6号を超えた方角に孝謙天皇の墓もあるらしい。
名前 |
椿山稲荷神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
3.3 |
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御祭神は倉稲魂命。永禄2(1559)年,常陸大掾氏の族である竹原城主・竹原四郎義国によって,城の鬼門の方角の椿山に守護神として奉斎されたのが始まり。はじめは現在の竹原小学校の北にあったが,昭和47年に道路を挟んだ少し西の現座地に遷座。狭い道路の向かいが竹原小学校,左脇にはその名も「裏町公民館」があり,ブロック塀の間にこじんまりと鳥居がありますが,入口こそかなり狭いものの,多数の樹木の生えた境内は思いがけず広く,数多くの境内社の祠,石像,石柱・・・とにかく多数で驚きます。拝殿裏の御本殿は写真のとおりで修復が急がれる状況ですが,「現在の社殿は元文5(1740)年の改築」との資料もありましたので,歴史的な価値からしても急務でありましょう。参拝時は(事前勉強を怠ったせいで)知らなかったのですが,境内社の中に「道鏡様(道鏡法王祠)」があるそうで,なんと,あの奈良時代の怪僧(ラスプーチンじゃないですよ)・弓削道鏡が下野国薬師寺に左遷された後,竹原の人が道鏡を当地に招いて当時で没したという伝説(または史実)があるそうなのです。し,しまった!この辺りには,その道鏡伝説にまつわる,まだ未参拝の孝謙天皇宮や竹原神社もあり,此の地に再訪するその時までに調べておかねばなりますまい。