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新編武蔵風土記によると、横見郡吉見から市野川を流川橋を渡り、松山町新宿を経て、松山本郷元宿に向かう途中の街道沿いで、観音寺裏の墓地の片隅に鎮座しています。地蔵菩薩はお釈迦様が亡くなられてから、弥勒菩薩が人間を救いにやって来るまでの間、人間を救う役目を持っている仏様です。現代の私たちにとって最も身近な菩薩として知られています。それは安産、子供の無事と健康を願う仏様と言われるからでしょう。地蔵菩薩は他の菩薩のように着飾った姿ではなく、坊主頭に袈裟を身に着けた修行僧のような姿で表現されます。左手に持った宝珠と右手に持った錫杖が特徴です。しかし、このお地蔵様は野ざらし状態で損傷が進み、頭の半分が欠けてしまっています。隣に石塔が2基あるのですがやはり損傷が進んでいます。1基は馬頭尊のようです。かろうじて江戸時代末期の文久2年(1862年)の文字が判読できます。その時代には観音寺の立派な本堂なども存在していたはずです。