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この石碑は、かつて小川町と呼ばれた小さな田舎町の、竹林の裾に静かに建っています。恐らく、今現在は誰にもかえりみられることもなく…。この石碑に刻まれた碑文曰く、昭和13年5月23日、中国河南省観台にて“戦死”した軍馬の正運号の為に砲兵少尉の根本信之介がこれを建てたこと、正運号は小隊長の乗馬として出征し、銃創をおいながらも数十回の戦闘に耐え、重大任務にも軍馬として果敢にも参加し、人の言葉を語らぬ無言の戦士として使命を果たしたこと、遺体は北支(中国)の黄野に埋葬されたとあります。碑が建立されたのは昭和15年5月23日とあり、歴史上、日本は蒋介石率いる重慶政府との間に勃発した日中戦争が膠着し、泥沼の第二次世界対戦へと突入していった時期にあたります。碑文に込められた情報は少ないのですが、かえって様々な想像を掻き立てられてしまいます。日本は、世界大戦の際には農家から農耕馬を徴収したので、正運号は石碑の建てられた近隣の農家で可愛がられていた馬だったのではなかろうか…。根本少尉も旧小川町出身の兵隊さんなのだろうか…。正運号は、根本少尉にとって同じ戦場を戦って走り抜けた、かけがえのない戦友だったのでは…。あるいは、物言わぬ戦士として出征した正運号の帰りを待つ人だったのか…。この石碑の碑文を読みながら、私は日本が第二次世界大戦へと向かっていく前の束の間に、先々生きて帰れる保証はない、だからその前にと根本少尉はこの軍馬の碑を建てたのだろうと感じました。この石碑は、田舎町の農道の竹林の裾にひっそりと建っています。日本が世界大戦へと向かっていく激動の時代に育まれた、人と馬との小さな友情を伝えながら。誰も知らないけれど、私は知っています。