縁起の良いタコ薬師様。
成就院の特徴
859年に慈覚大師円仁が開創し、歴史ある仏教寺院です。
本尊は薬師如来で、蛸が支える蓮華座に坐しています。
江戸時代の風情が残る静かな境内で、病気平癒の祈願ができます。
先輩と病封じのため願掛けに来ました。ひっそりと佇む社屋、成就院という名前、蛸薬師の由来、とても素敵な場所でした。
成就院は天安二年(858年)に慈寛大師円仁により開創されました。通称で蛸薬師と呼ばれています。大師四十歳の御入唐の際の帰路で、自ら刻んだ御持仏(薬師仏)を海神に献じ難を避け無事筑紫の港に帰り着かれたといわれています、その後大師の諸国巡化の砌に肥前の松浦で海上に光明を放ち先に海神に捧げられた御持仏(薬師仏)の像が、蛸に乗って浮かんでいる姿を観て随喜の涙にむせび、その後東国を巡り天安二年(858年)目黒の地にこられた時に病気平癒のため、先に松浦にて拝み奉った尊容をそのままに模して一刀三礼し霊木に刻み、護持仏の小像を其の胎内に秘仏として納め蛸薬師如来と称え奉られました。元和の頃徳川三代将軍家光公が、目黒の里に鷹狩りの道すがら当山に参拝し御本尊の霊験を舜興和尚からお聞きになっています。毎年一月八日に初薬師御開帳護摩が行われます。
無気力だし、緩い御朱印が500円だし、中は駐車場だし、とにかく金への執着心の強い寺だということはわかりました。
2022.3.28山手通りから目黒不動尊へ徒歩で向かう途中、拝殿の壁にタコの絵が掲げられている寺が目にとまった。何だろうと思いながらも、目黒不動尊へ向かい、参拝の帰り道立ち寄ってみた。由来記を見ると、1600年迄は遡る。拝殿のタコは、福をすいよせるとされた蛸薬師の由縁で、疫病除けの寺として徳川秀忠の側室や家光にも関係する。
858年(天安2年)慈覚大師(円仁)の開山で、本尊は大師の自作と伝えられ3匹の蛸にささえられる蓮華座に乗る薬師如来です。俗に蛸薬師とよばれ疫病除の仏として人々にあがめられていますと境内に設置されている看板に記されております。目黒不動尊の近くにございますが、境内は小ぢんまりとしております。ご本尊の薬師如来像は、普段厨子に納められているため、お前立ち(おまえだち:ご本尊代わり)の像が祀られております。御朱印の取り扱いはございますが、お寺の方が不在の時が有るので、気をつけてください。
癌封じのためにお参り。
静かなお寺です 境内に大きな石仏や庚申塔があります。可愛いカエルの石像もありました。
御朱印もお守りも頂けない。受付をやっていませんでした、大雨、無念。令和3年6月23日午後。癌封じのためのお参りに再訪し、ご丁寧に対応、ご祈祷して頂きました。令和3年6月28日午前。
ありがたや福をすいよせるたこ薬師目黒成就院。
名前 |
成就院 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3712-8942 |
住所 |
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HP | |
評価 |
3.7 |
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私は、仏教徒ではありませんが薬師如来に興味があります。なぜなら、病苦を救う力があるとされているからです。自分はもとより、肉親や友人が病気になれば平癒を願いたくなりますね。この薬師如来を御本尊にしている有名な寺院は、全国(日本)隅々まで多くあります。例えば、奈良県の薬師寺や法隆寺、京都府の醍醐寺、島根県の一畑薬師、徳島県の平等寺など枚挙にいとまがありません。昔から江戸(東京)では、上野の寛永寺薬師如来、新宿百人町の玉寶山長光寺(しあわせ薬師)、そして、ここ目黒の成就院(たこ薬師)が病気平癒や健康長寿あるいは災難除去・安産祈願の現世利益で名を馳せているお寺さんです。「薬師如来」の正式名は「薬師瑠璃光如来」(やくしるりこうにょらい)といい、東方の浄瑠璃世界(現世)の教主で、阿弥陀如来のように死後の世に安らぎを与えるのではなく、病気を治して生きている間に願いを叶えてくれるのであります。薬師如来の像容は、左手は与願(よがん)の印を結び薬壺(やっこ)を持って、右手は施無畏(せむい)の印を結び薬指を前に出しています。他の装飾品などは持ちません。(奈良時代までは薬壺を持たない像容もありますが)仕事の同僚が胃痛に悩みまして、受診したところピロリ菌が検出されたとのことで癌の心配もあることから、たこ薬師へ参拝祈願に来たわけであります。ピロリ菌を吸いとってくれればとの思いです。最寄りの駅は、東急目黒線「不動前」で、改札口を出て左側の小道を道なりに進んでください。