後醍醐天皇ゆかりの隠岐国分寺。
このお寺も、741年(平13年)に出された聖武天皇からの「国分寺建立の詔」により全国につくられた国分寺の一つです。鎌倉時代末頃には、1332年(元弘2年)の元弘の変に敗れた後醍醐天皇が隠岐に流され、隠岐国分寺を行在所としたといわれています。一方、天皇の行在所説としては西ノ島の黒木御所も知られることから、実際の行在所の所在ははっきりとしていないそうです。隠岐国分寺境内は、後醍醐天皇配流の際の行在所跡として、本堂の背後にある一角が1934年(昭和9年)国の史跡指定されました。整然と並んだ大門跡や本堂跡等の礎石が往時を偲ばせています。後醍醐天皇行在所跡の石碑と、元弘2年から約1年、後醍醐天皇が在所していた説明の看板がありました。2007年(平成19年)には本堂が火災により焼失しました。再建に伴って2009年度(平成21年度)から実施された発掘調査により、旧国分寺跡と見られる遺構が発見されています。現在の本堂は、2014年(平成26年)に再建されたものです。毎年4月21日に行われる蓮華会舞(れんげえまい)は、古代の様式を残すものとして国の重要無形民俗文化財に指定されています。境内の「蓮華会之館」には、蓮華会舞の資料や公演舞台、奈良時代の瓦や後醍醐天皇の資料等が展示されています。
ピンクのツツジが咲く季節に後醍醐天皇ゆかりの寺院、隠岐国分寺に訪れました。鎌倉時代末期に何度も倒幕を試み失敗を重ねた後醍醐天皇。天皇の身でありながら『死』に等しい流刑となりました。現在でも本土からフェリーで2時間半を要する島。出入りが難しい一方で食べ物には困らず、当時は身分の高い人々だけが流されていたそうな。さて、本堂奥には【後醍醐天皇行在所跡】を垣間見れます。そしてそのまた奥には後醍醐天皇御尊像を祀る【王城鎮守社】が鬱蒼とした中でひっそりと存在しています。手を合わせ、静かにお参り致しましょう。
玉若酢命神社から移動して来ましたが、すぐ横に大きな駐車場がありました。隠岐廃仏騒動の際、隠岐の寺院は全て焼失し、平成19年本堂を焼失したため平成21年から25年に調査が行われ、遺構や遺物が発見されました。そして平成30年、この新たな発見により国指定範囲が広がったようです。山門には11菊花紋と桐紋が合体した寺紋があり珍しいものでした。拝観料を払う場所が山門左手前にありました。本来ならば拝観料400円ですが、本日はご不在のため史跡のみご自由にと書かれていましたので、無料で入れました。本堂裏に進むと、後醍醐天皇行在所跡の立派な石碑がありましたが、他には特に感銘を受けるようなものはありませんでした。
歴史があり、敷地内には後醍醐天皇行在所もあり、今でも使われているドーム型の闘牛場もあります。現役で使われている闘牛場は隠岐諸島の中でもここだけだと思います。
名前 |
隠岐国分寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
08512-2-2934 |
住所 |
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評価 |
3.8 |
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国指定史跡 隠岐国分寺参道突き当たりに後醍醐天皇尊像を祀る王城鎮守社があります。料金400円場所はモーモードームの隣です。